実はこの秋に義父が他界したので慣習としては喪中ハガキを出すべきところでしたが、ジャミラ(法律上の妻)とは国立移住の時からその種のキズナが喪われています。葬儀も欠礼しましたが、ジャミラの実家にはこの二十年ほど訪れていません。ジャミラ(ゴミ屋敷の婆)の横暴ぶりを私が認めていないことは通じています。
退職金から五百万を横領されて二つ目のレッドカードを突き付けたものの、在職中と同額のローンを払わされ続け、私の老後生活は経済的に目算が外れてハチャメチャです。幸いゼミ部や釣り部をはじめ人間関係にはとても恵まれているので、それを励みに生きています。毎年いただく年賀状も嬉しくたいへん励みになるので、喪中ハガキはギリギリまで出さずに今年も皆さんの賀状を楽しませていただきます。これから書く人のもお待ちしています。(ジャミラに対するイエロー・カードやレッド・カードの数々を知りたい方は「関谷ゼミブログ」を参照してください。 関谷一郎
「関谷ゼミブログ」https://sekiya-ichirou.hatenablog.com/
(註)
① 最初のレッドカード
十数年前に国立に引っ越す際、私が唯一出した条件はピアノを持ち込まないことでした。息子は良き先生に付けたお蔭でヴァイオリンは東京移住まで続けていましたが、ピアノは日本を狂乱に陥れたピアノ・ブームに乗せられた母親(ジャミラ)に無理やり習わされたものの、すぐに止めています。母親が実家にねだって買い与えたピアノは全く使用されることなく、単なる場所ふさぎなので新居には持ち込まない(処分する)というのが、私が同居するための唯一の条件でした。ピアノをはじめ使わない物は処分する、というのが私の生活モットーだからです。
ところが転居開始の数日後、ジャミラは運送屋を使ってぬけぬけとピアノを運び入れてしまったのです。追及しても私がピアノを運び入れることに同意したと言い張るだけですが、ジャミラは自分の都合の良いように言動し続ける習性を持っていて、他人=私はすべて同意しているという前提で生きています。決めつけ・思い込んでしまうと、後は議論になりません。他者と議論する訓練がまったくできていないので(神田外語学院卒)、文字通り「お話にならない」ので言って聞かせることができません。
そのくせ私の方が言を左右にして前言をひるがえすから「話にならない」のだと言い張ります。仕方ないので録音機器を買ってきて(7000円超?)録音しながら議論を始めたことがありましたが、発言したと思ったらすぐに消去せよと言い張りました。自分にとって不都合なことを言ってしまったと気づいたようですが、すぐに議論を打ち切り、以来議論の録音は拒否し続けています。要するに精神年齢が3歳児程度で、自分の都合の良いことだけを認めつつ、相手=私の言うことは頭ごなしに否定してかかります。
70歳ババアの反抗期という言い方も当てはまりますが、必ずと言っていいほど私の言うこと(指示)の反対をやり通します。近いところでは釣り部に出かける前に「明日は生ゴミを出し忘れないように!」と伝えましたが(前日のプラスチックゴミを私が袋詰めしておいたのに出さなかったばかりだったので)、「いちいちウルサイ!」と反発していましたが部活から帰って見れば生ゴミは放置されていました。基本的には「ゴミ出しができないババア」ということでしょう。「ジャミラ」というのは田口ランディの「富士山」という小説に登場するゴミ屋敷のババアの愛称ですが、自家のババアにもピッタリの呼び方です(以前ブログに引用したので、そちらを検索してください)。
ともあれピアノに代表される《不要な物》が、その後次ぎ次ぎと自家のあちこちに氾濫するようになっています。物を片付ける・整理するという気持も能力も持たない女なので、家中がゴミだらけになっています。後ほど大きなゴミ袋10ケ以上に詰め込まれたものがベランダに積み上げられていたという、最大のイエローカードぶりについて記す予定ですが、最近ではジャミラのテリトリーである2階の居間までも鞄類などが放置されていて、文字通り足の踏み場もないくらいです。カメラが故障して捨てて以来、携帯もスマホを持ったことのない私には近影をブログにアップすることはできませんが、昔の「証拠写真」は保存してあるので改めてアップしてみます。食卓はじめソファなどがゴミ置き場と化している様子が伝わると思います。
洗濯物でソファが埋もれている
@ 註の①だけで長くなってしまいました。続きはまた後で!