【状況への失言】検察庁法改正問題(続き)  元検事総長たちも反対!  稲田朋美は低能、森雅子法相は?  きゃりーぱみゅぱみゅ  丸山真男(史上最高の政治学者?)の名言

 スゴイことになったネ! 司法の独立を崩そうとしている安倍晋三の悪辣な魂胆に対して、元検事総長松尾邦弘さんをはじめ14人の元検察トップ総勢14人が反対意見書を提出したとのこと。 やはり田中角栄汚職を追及して辞任にまで追い込んだ実績のある人も含まれるというのだから、心強いかぎりだネ。それでも安倍たちは強行採決を目論んだというのだから(野党の作戦で延期)、コロナ禍対策以上に司法を牛耳ることを優先しているのは明らか。

 稲田朋美ほど低能とも思えなかった森雅子・法相も、失言続きで野党に追及されるのが怖くて逃げ回っていたそうだけど、会議に出て来るなり野党にやり込められてタジタジだったとのこと。おバカのトモちゃん(稲田朋美に対する某女子タレントの呼び方)は、防衛相長官時代に「自衛隊からも宜しく」と勝手に自衛隊の代表のような言い方をして追及されたけれど、稲田が安倍晋三ベッタリの発言をくり返していたのとはことなり、森法相は本人の意志に反して安倍政権の意図を言わされている印象だけど、違うかな? 国会答弁がまるで説得力がないまま、逃げ続けていたのも言わされているからのように見えるのだけれど。

 ともあれ、歴史上この上ない害悪内閣(韻を踏んだヨ)だネ。 

 

 検察庁幹部の定年延長という安倍晋三政権の悪だくみに反対する歌手の1人に、昨日の新聞記事にはきゃりーぱみゅぱみゅも上げられていたのだけど、反対表明後にツイートを削除したとのこと。原因はファン同士で意見が割れて激論となり、「悲しくなり」消去したそうだ。いかにもありがちなことで、「政治を勉強してから発言を」「歌手は歌っているだけで良い」という類の攻撃も目立ったという。つい同感してしまう人もいるだろうから、この問題についてコメントしておきたい。

 ダジャレのタレントだと思われているものの、実はけっこう信頼すべきインテリである放送プロデューサーであるデーブ・スペクターによれば、アメリカでは芸能人は事務所に属してないこともあり、政治的立場を明らかにするのが普通だけれど、日本では事務所がタレントを抑えているので政治的発言が自由でないという対照が指摘できるとのこと。なるほどそういう事情もあったかと納得。確かに今まではタレントの政治的発言は目立たなかったネ。松本仁志のように安倍政権支持を控えめに小出しにしていたのもいるけど、政権批判を明言するタレントはあまり見聞しなかったネ。サッカーの本田圭佑は、最近ツイッターで「日本ほどアーティストや俳優やアスリートなどが政治のことを話さない国はない。もっと話そう。あなたの国のことだ!」と呼びかけているそうだ(同じ記事による)。

  

 そもそも「政治を勉強してから発言を」という考え方は、どの程度「勉強」すれば「発言」することが許されるのか、その量を確定することなどできない。だから三原じゅんこを筆頭に、無知そのもののタレントが自民党などに利用されて行くのも仕方ない傾向ではある。その時々の判断によって利用されるしかないので、「勉強」した結果が離党するという期待は持てるわけだ(三原じゅんこはバカ過ぎて利用されるがままだけど)。ともあれ「勉強」の量を確定できないのだから、そのつどの判断を遠慮なく発言すればイイということになる。言葉を換えれば、いくら認識を積み重ねようが行動は生まれないということ。これをあの丸山真男が歴史的名著『現代政治の思想と行動』で言明している。

 《決断をするということは、この無限の認識過程をある時点において文字通り断ち切る(傍点)ことであります。断ち切ることによってのみ決断が、したがって行動というものが生まれるわけであります。むろん決断した結果そのものはまた認識過程のなかに繰り入れられ、こうして一層認識は豊富になるのですけれど、決断のその時点いおいては、より完全なより豊富な認識を断念せざるをえない。》(「現代における態度決定」)

 見事な断案である。学生時代、ストライキ等に対して未決定なクラスの人や、発言することないままストライキに賛成する学生を非難する教員相手に、この丸山真男の認識を突きつけてクラスを組織していったものだ。全共闘を口汚くののしったという丸山真男のお蔭で、クラスをストライキ賛成に仕向けることができたのも皮肉だったネ。

 というわけだから、ぱみゅぱみゅに対して「歌手は歌っているだけで良い」と言うのは人権侵害だし、「政治を勉強してから発言を」と言うのは、勉強と発言がリニア(直線的)につながると考えてしまう、当人の頭の悪さを自白しているようなものなンだネ。