現在、大学同期入学(同級生)の全共闘仲間の間のメーリング・リストで、ボクが言い出した頻尿・尿漏れが話題になっている。70才過ぎるとそろって同じような華麗(加齢)な症状が現れるので、学生時代とは異なる連帯意識が生じている。膀胱ガンを患っている仲間が尿漏れの権威で、種々のパンツや前部にパットが付いているパンツを紹介してくれるので、とても役に立つ情報が得られる。パンツの前部にパットがあれば「多い日も安心」と思われるので、将来使わせてもらおうと考えている。
学生時代、進級試験を拒否したために留年した2年下の同級生には内田樹もいたけれど、トンペイ(本名は伏せるが中沢新一も知る倫理学科、直腸ガンのため30代半ばで死去)という小説も書ける優れ者もいた。彼は地主ならぬ痔主で苦しんでいたので、体育の授業では時々出血過多を理由に見学に回っていた。言語感覚の鋭い彼の表現によれば、メンスが体育授業を忌避する理由になるならオンス=オスの痔だって体育を休む理由になるはずだという。彼はくわえ煙草で野球の守備をする元気も無い時は、いつもオンスで休んでいたものだ。
今朝は夜間頻尿で早朝目覚めたついでに、6時からの高橋和夫「現代の国際政治」(第2・3回)を寝ながら聴いていた。このセンセイは真面目な顔してクスッと笑わせてくれるので、教員歴も長くて学生のツカミ方にも自信のあるボクも、感心することが多い。今朝もそのデンで笑わせてくれたけれど、受講生の種々相を紹介しながら「放送大学にはいっさいカネを払わずに聴いて下さる人」も数に入れてくれたので、身に覚えのあるボクは失笑してしまったヨ。授業にもいろいろ工夫してみせてくれるので感心することが多いけど、エレベーターが開いたところから教室へ移動するのを見せて授業を開始したり、スマホの画面に自分の姿を映しながら講義をしてみせたりするので、さすがのボクも脱毛、じゃなくて脱帽だネ。
授業する己れの姿を相対化する視点を持しているからこその工夫がオモシロいのだネ。自分を相対化できるのは実力・能力があってこそのワザなのだけど、無能な連中にはそれができないのだネ。放送大学専任講師の中では、青山昌文がその典型で自己相対化する能力も余裕も無いから不様(ぶざま)そのものだネ。己れを外から(他人の目で)見る余裕が無いから、小学生でも笑えない下らぬことを言っては自分だけで笑っているので、醜悪そのものだネ。高橋センセイのような、判断力のある大人をクスッと笑わせる芸など、青山某なぞは生涯持てないデクノ坊だネ。
この青山某は今まで何度も強調してきたけど、講義のやり方がクソ下手で聴いていられない。脳に欠陥があるのでは、と疑われるほど同じ言葉をくり返すのでウンザリするヨ。「実に」とか「素晴らしい」という決まり文句から始まって、「印刷教材にも書きましたけど」という長めの言葉もすぐにくり返すので脳状態が心配になるヨ。
自分を他者の目で相対化する姿勢も能力も無いので、実力的に己れには欠落している内容までも講義してしまう無知・無恥ぶりを発揮してしまう厚顔ぶりだ。これもかつて記したけど、最近の再放送でも歌劇やミュージカルなどの授業を担当しているのだから、放送大学がイカガワシく思われても仕方ない。先日も記したとおり、青山をはじめ魚住某や島内某などの専任が、己れの守備範囲ではない哲学や近代文学について恥知らずな講義を公共電波で流すのだから、放送大学は詐欺を犯しているとしか思えないネ。この3名は放送大学専任の3バカ(らす)=三羽ガラスと言えるだろネ。高橋センセイが専任を辞めたのも、こうした劣悪な専任講師と一緒にされるのは迷惑だと思ったせいかもネ。