【状況への失言】小林賢太郎は例外(その2)  ネタニエフ(イスラエル前首相)の支持者はケンタローを非難できない!

 ケンタロー弁護で1000字近く書いたのに、ネタニエフの名前が正確かどうかを検索している間に全部消えてしまった(ネタニヤフという表記もあることは分かったけど)。いつもはブログに戻ると、それまで書いた記事は残っているのに消えたのは誰の仕業だ? ネトウヨ? まさかネ。

 

 田中優子さんが先日紹介した連載記事で打ち明けていたのだけど、菅首相を批判したら法政大の卒業生から注意されたそうだ。同じ法大卒同士なのだから批判するナ、ということだったとのこと。どこの大学卒業生にもバカはいるものだけど、今どきの日本の首相になれたくらいで自慢にはならない。それも極悪人・安倍晋三の後始末(悪事隠し)に最適 だというだけで、元官房長官の菅が選ばれただけなのだから、恥ではあっても自慢にはならないのだヨ。それに引き替え田中総長は(前に同じ女性トップとして、学大の村松泰子学長の無能さと比較したけど)、法政大伝統の良識も発揮しながら政権批判も辞さない強さを保持したので、卒業生としても大いに自慢できる存在だヨ。

 

 前回のブログを読んでくれたクリマン君が面白い情報をくれたヨ。「虐殺」とかのネタだけで否定するのは間違いだという例として、三島由紀夫「わが友ヒットラー」(やキューブリックの映画)を上げてくれたのは最適だったネ。別にクリマン君がボクの過激な言動に共感しているわけではないので、クリマン君の勤務先の方は誤解しないようにしてもらいたいナ。なるほど三島のヒットラーは虐殺者を礼賛しているわけでもなく、独特なヒネリがあって読ませるので感心する。

 ケンタローも若気の至りで虐殺ネタを吐いてしまったようだけど、その後のケンタローなら人間としても芸人としても熟したので一方的な言い方だけで終わらずに、もう一方に対してもエスプリを効かせて前回のブログに記したように「パレスチナ人、虐殺」とかも言えるだろネ。そもそもユダヤ人だからといって「虐殺」一般に抗議することは許されないはずだ。ナチ=ヒットラーに虐殺された歴史的事実を口実にして、パレスチナ人を虐殺して良いはずもない。

 《被害者意識》は何もユダヤ人だけの特権ではないのだから、虐殺されたからといって他者(他民族)を虐殺する根拠にはならない。パレスチナ人(特にガザ地区)に対するユダヤ人のやり方は「虐殺」以外ではない、それを認めようとしないネタにエフ支持者にはケンタローの発言を非難する立場にはいない。最近になってやっとネタニエフが政権を追われた朗報が入ってきたものの、《被害者意識》を特権化しつつ他の民族虐殺を肯定するユダヤ人は、トランプ支持者とタッグを組んでパレスチナ人を殺し続けることだろう。