朝日新聞が月に1度のペースで(?)亡くなった著名人との「惜別」欄(夕刊)を設けていて、生前の活躍を報じている。今月9日には無名の近藤一さんが取り上げられていたが、《自らの戦争加害体験を勇気をもって語る、稀有な人だった。》と始まる。当初からではなく、1980年代に沖縄の日本軍による住民殺害の記述が、教科書から削除されたのを機に日本軍の沖縄の住人惨殺などに対する告発が相次いだそうだ。記事には書かれていないが、戦争期に沖縄を舞台にした小説にも住民が日本軍の犠牲になったエピソードは、集団自殺を強いられたことなどを始め数え切れないほど多かった。
近藤さんはいたたまれなくなり、「そうじゃない日本兵もいたと知ってほしかった」というので戦友ら5人で「兵士達の沖縄戦を語り伝える会」をつくって〈真実〉を語り始めたとのこと。やがて中国での活動も問われるようになったので、記事では使われていない言葉「三光作戦」が示す「姦す・燃やす・殺す」のかぎりを尽くした、自らを含む日本軍の犯罪も語り始めたそうだ。
「仲間の恥をさらすのか」「自虐的だ」などの批判にも抗して、慰安婦訴訟の証言にも立ち90代になってもたった1人で講演し続けたというのだからスゴイ! 時には泣きながら語ることもあったそうだが、なぜ己を痛めつけてまで語るのかと問われると、「被害と加害、両方話さないと伝わらない」という信念で101歳で老衰死するまで語り続けたとのこと。晩年まで戦場の夢をみて、「殺される」とうなされることもあったそうだ。
慰安婦などいなかったとか、南京大虐殺は無かったなどとか、平然とウソを吐くクソ日本人(特に自民党や維新の党などの政治屋)が多い中で、《真実(事実)》を語り続けた近藤一さんに尊敬と感謝の念を捧げたい。