【読む】十重田裕一『横光利一と近代メディア』  ドストエフスキー論を訳していたなんて・・・

 今年のやまなし文学賞間違いなし、というスゴイ本を贈っていただきながら、紹介が遅れているので思い切って記してしまうネ、礼状(ブログの紹介記事を送るのが通例)も遅れたままだし。「震災から占領まで」という副題で岩波書店からの刊行で、定価は8000円+税だから岩波らしい高価さ。でもいつも言うように値段じゃない、高価な定価でも値段以上に読みこめばそれだけ安くなるのだからネ。若い頃からずっと横光中心に研究を積み重ねてきた十重田さんの集大成といった趣きの書だから、文学賞を受賞するにはちょうど好い機会だネ。

 紹介が遅れていたのは、ボクが元々横光が苦手で論ることができないレベルに止まったままで、おまけに10年以上前から興味も失っているからだネ(長いこと会員だった横光利一研究会もその頃脱会した)。すごく充実した目次を見るだけで圧倒されてしまうけど、今の自分でも読みたいところを探したら「ドストエフスキー論の翻訳の試み」があったので1週間ほど前に読み始めたのだネ。ところがレッキとした高水準の研究論文で、横光がホントに翻訳した刊行本を特定したり・翻訳した時期を特定するとか(だったかな?)でドスト自体とは関係が薄いまま展開して行くばかりなンだナ。

 最近記したとおり、このところドストの作品や小林秀雄のドスト論中心に読んでいるところなので、作品の内容に入っていかない論文からは気持が離れていくばかりなンだネ。横光自体には関心が無くても、小林がらみで昭和初期の雑誌のドスト特集で横光が「悪霊」論を書いていたのを覚えているけど、横光がキチンと「悪霊」を読んでいるとも思えなかったのだネ。それが十重田論のお蔭で横光はドスト論の翻訳までしたということが判り、「悪霊」論も読むに価するだろうということが納得できたネ(未読のままだけど)。

 ともあれドスト自体や小林のドスト論に集中しているため、なかなか十重田論に戻れないまま時日が過ぎていくので、礼状が遅くなり過ぎないように記して紹介するしだいです。