【見る】テレビの良し悪し  放送大学  マツコ・ルー大柴・ Matt ・ギャル曽根

 音楽番組を1日に4本も見た報告を記したら、ボッティにテレビばかり見ている老人だと嫌みを言われてしまったヨ。実はボッティの想像を超えてテレビを見ているのだけどネ。独身時代はテレビを持たなかったけど、無ければその分他のことで充実できているだろうから、なくてはいけない物ではないネ。ヘイカやウンコマンはテレビの無い生活を有効に送っているようだし。テレビがあっても時間泥棒にしないようにすれば、使い方しだいで有益になるだろネ。前向きの姿勢で生きていないと、テレビはすぐに時間泥棒になるだけだから無い方がイイだろうけど。

 最近は放送大学がまとめて放送するので、ボッティの想像以上にテレビに時間をとられているヨ。早朝から「中国と東部ユーラシアの歴史」を2本(終了)・「世界の中の日本外交」も2本・「韓国語Ⅰ」(終了)も2本の中の1本目を見るとお昼になる。昼からはラジオ放送大学で「日本現代史」が2本と「東アジアの政治と社会」を2本と「世界文学の古典を読む」(一昨日から「文学批評への招待」に変更)を2本を見たり・聞いたりしながら眠っていることも多いネ(寝るのも計算済み)。歴史には殊のほか興味があるので、眠らないように聴いているヨ。前にも言ったけど、学部生のころは全共闘運動に打ちこむ以前から授業を無視していたから、今さらになって教養(部)の授業が面白く感じるのだネ。

 

 ボッティにも言ったのだけど、何も勉強のためばかりにテレビを見ているわけじゃなく、食事中などは気持を転じるためにお笑い番組中心に見ているネ。困るのはCMや番組自体に大嫌いな連中が出てきて気分を害することで、マツコが現れるとすばやくチャンネルを変えるか・消音にするようになっているけれど、意想外なヤカラが出てくるとまだマツコの場合のような条件反射ができないので不快感ばかり残りがちだ。先日はルー大柴が突然CMに現れたのでギョッとして、すぐに対応できなかったヨ。存在自体を忘れていたために即応できなかったのだけど、久しぶりに反吐(へど)が出そうな不快感を思い出してしまった。それにしてもなぜあれほど好感度が低いクソをCMに使うのか、業者のセンスを疑うネ。

 CMと言えば桑田真澄投手のバカ息子・Matt も使われているのだから、ヒドイ業者もあるものだヨ。桑田も大嫌いだけど、その父親とは似ても似つかない顔に整形した Matt も動くマネキン人形みたいで気持悪くてたまらんヨ。もう1つ不愉快きわまるCMを上げると、マツケン・サンバとかいうやつネ。チンドン屋の現代版がテレビ画面に現れるのも、美意識を逆なでされるようでブチ殴りたくなるネ。

 番組では最近これも見るも厭わしいギャル曽根を見かけることが多くて不快だネ、見かけもブスの厚化粧で醜いのだけど、何よりも大食いという許しがたい芸には殺意さえ感じるのだナ。あまりにチープな芸で許しがたいと思ったのは、登場した頃の武井壮が見せた「百獣の王」のパフォーマンスだけど、その後は武井が被災地に出掛けて援助していると聞いてからは武井の存在も耐えやすくなった感じだネ。

 テレビを見なければこうした不愉快を感じなくて済むのだけれど、使い方しだいではタメになるから良し悪しだネ。でも不快感を吐き出したらチョッとスッキリしたヨ。