法政大学シンポジウム(番外篇)  山本真鳥  東大における《注釈》派 VS 《解釈》派の対立

休み時間に会場で昔の同級生を発見して驚いたものだ。
石川真鳥といっても石川達三の姪ながら今は山本姓なのだけれど、彼女はボクら全共闘の1部が進級試験を拒否したためいっぺんに2年落とされて留年したクラスの同級生なのだ(クラスの有名人は内田樹)。
山本真鳥さんは以前から放送大学の(文化)人類学の講義で見ていたので、てっきり放送大の専任かと思っていたら法政大の専任なのだそうで、だからこそ会場にいたのだった。
テレビで見かけてから同じ1968年入学組かと思っていたら、68年のクラスの全共闘仲間(ケジラミ集団という別名がある)から「そりゃ70年組だろう」という話だったのを、この際に本人から直接確認できた。
加齢とともに昔の記憶は残るものの、新しく覚えることは困難と聞かされていたけれど、昔の記憶もアテにならないのが判明、吾ながらナサケナイ。


修了後、日本文学科の教員や学生たちと呑んだのだけれど、そこでも意外な思いをしてビックリしたものだ。
肉中心の呑み屋だったので魚介類好きなボクとしては腰がひけたのだけれど、ワインがたくさんありその中でもリーズナブルで美味なのを小林ふみ子さんという専任の方(江戸文学専攻とのこと)が実にミゴトに選んでくれたので、ワイン中心に楽しめたので感謝しきれないほど。
それはともあれ意外だと言ったのは、ボク等が学部生だった頃の助手・ノノジ(野山嘉正)は空威張りするだけが能力の男というのがお決まりの評価だと思っていたけれど、ひたすらの嫌われ者とばかり思っていたノノジを慕っている人(匿名)と出会えて驚きつつもノノジのためにも嬉しい思いをしたものだ。
研究者としてもあまり評価されない人ながら、安吾研究会だったかで野山さんの『明治の青春』とかいう本を例にして評価する人(匿名)に出遭ったくらいで、大方は不評だと言っていいだろう(ボクも感じた文章のヒドさは大方に認められている模様)。
ましてや人間としての評価はトランプ並みにバカにされている感じなのに、心底からノノジに親しみを抱いている人がいるとは半世紀の間、思ってもみないことだった。
ボクが最初に学会の委員になったのは近代文学会の運営委員なのだけれど、それは野中さんが委員長を引き受けたため(三好行雄師は代表理事を始めとしてトップの地位を逃げ続けたため、その点では評判が悪かったけど、野中さんが運営委員長を引き受けたのはエラかった!)、評判が悪い野中さんをカヴァーするために(それまで委員を逃げ続けていた)ボクに東大閥から秘密指令がきたので委員になったのだった。
ボクのお蔭でもなく、ふだんの空威張りを抑えてくれた野山さんが無事委員長をこなしてくれたのは、大バカモノのトランプとは大違いだった(小さな衝突はあったものの、幸い目立つものではなかった)。


野山さんを慕う人は、学問的にはクボジュン(久保田淳)と共に野山さんを評価しているようで、改めて東大国文科内部の学問的対立(!)に思いを馳せたものだ。
久保田先生は駒場教養学部)に半年通って「新古今和歌集」の講義をしてくれたのを受講したけれど、それまで一般教養の授業などマジメに出なかったボク(等)には学問的な刺激に満ちていて楽しんだ(越智先生はドイツに行っていた期間だったか?)。
でも高校時代から「新古今」などの古典文学の参考書に親しんでいたボクとしては、注釈中心の久保田先生よりも未知の三好師の『作品論の試み』に強く影響され、71年に高校同期の仲間と出した同人誌に「『金閣寺』への私的試み」なる批評文を載せたものだ(学芸大近代文学3ゼミの機関誌『青銅』に転載してもらったことがある)。
表題からし三好行雄丸出しだった次第だけど、専門に進学してからはナマの三好先生に圧倒され続けた10年間だった(学部でも院でも鴎外の演習ばかりやらされたのは閉口したけど)。
もちろん《注釈》より作品の《解釈》(読み)に他を寄せ付けないヒラメキを見せつけていた点で、三好師と併称されるべき秋山虔先生からも(ドイツから帰った越智先生からも)多大な影響を受けたのは言うまでもない。
してみると長年助手を勤めた後で教授になった久保田・野山ラインと、秋山・三好(・越智)ラインの2つの流れに分けられるのは見やすい(から誰でも知っていただろう)。
ボク個人としてはあまりそれを意識していなかったけれど、研究者になってからは時々《注釈》派の人から《解釈》派の先生に対する反発を感じて驚くこともあった。
天才肌の秋山・三好・越智の先生たちの足元にも及ばないのは自覚していたものの、自分も《解釈》(読み)で勝負していた身としては《注釈》派の人たちを軽く見ながら、自分たちが多数派だと思い込んでいたからたまに《注釈》派を露わに言動する人に出遭うと驚いたものだ。
この2つのラインは東大に限らず、文学研究一般に当てはまるのは言うまでもないから、自身の師友たちがどちらに属すのか見直してみることをおススメする。