【状況への失言】朝日新聞は劣化したか?(その2)  ゼレンスキーが東条英機に見えてしまう書き方

 6月9日の1面の小見出しは以下の2つ。

《「前線に立たない自由」は》

ウクライナ出国は「恥」届いた中傷》

 まるで反動的な読売かサンケイ新聞のように、被害者意識を挑発するだけのための下品な書き方で呆れるヨ。記事の書き方も偏って(片寄って)いて、いっこうに朝日新聞らしくない。記事は小見出しに該当する2家族を取りあげている。

 1人はラトビア(ロシアから独立したバルト3国の1つ)に住む男で、息子がラトビアに住めるための手続きをしにキーウを訪れたら、プーチンの侵略が始まってしまいラトビアに帰国できなくなってしまったという。このままだとラトビアの仕事も継続できなくなってしまうし、ロシアと闘う意志も無いと訴えたそうだ。

 もう1人は2年前からフロリダに住む男で、父が亡くなったのでキーウに一時帰国したら出国できなくなったので「これではまるで奴隷だ」と嘆いたという。「奴隷」という言葉の使い方が誤っているのはともあれ、この2人に対して「兵士として戦え」「恥を知れ」という意見が多数寄せられたそうだ。

 この2人に関しては、ボク個人としては出国させてやればいいと思うネ。2人ともウクライナ人としてのアイデンティティを失っているのだから、無理に引きとめたところで使えないサ。もはや《他人》なのだから、彼らに「戦え」とか「恥を知れ」などと言ってもしょせん無駄だネ。ウクライナも実にたくさんの問題を抱えていたのだから、国外で生きたくなる気持は分かるつもりだ。それを現在ウクライナに生きる人たちがあれこれ批判するのは間違っていると思うネ。人は自分が戦っていると、戦わない人間に対して厳しくなりがちだから十二分に気をつけないとネ。

 ここまで解釈を進めれば1面の記事も理解できるものの、記事は言葉が足りな過ぎる。この2人がウクライナという国を捨てざるをえなかった経緯、というより国を捨てざるをえないまでのウクライナの複雑きわまる歴史を記さないと、彼らを理解することはできないだろネ。逆に言うと、様々な分断を積み重ねてきたウクライナ人を、ロシアの侵略に対して国を守るように国民の気持を統合しえているゼレンスキーは尊敬に値するということだ。

 

 (以下は7面の記事に移る)ロシアの侵略以降、ウクライナが18~60歳の男性の出国を禁じているのは周知だろう。これに疑問を持った弁護士が男性たちの出国を認めるように嘆願書をゼレンスキー大統領宛てに提出したという。

 《全員が銃を持って塹壕にこもるべきではない》

 《出国禁止の解除を》などと訴え、ネットで2万7千人以上の署名を得たそうだ。

 この弁護士は銃を持って闘う以外に、ウクライナのために貢献する方法があることを認めている。しかし地元メディアによるとゼレンスキーは嘆願書について、

 《地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この嘆願書を示せるのか》と批判したとのこと。嘆願書に賛同した男の1人は4年前からポーランドに住んでいながら、クリミア併合の時以来の2度目の帰国し、軍医らを保護する任務についてキーウ郊外などに派遣されたそうだ。しかし東部に派遣された時は「到着してからの4時間で3人死んだ」とショックを受け、「仕事に戻るときだ」と除隊したのだそうだ。死の恐怖が現実になったので家族の許(もと)に戻ろうと思うのも仕方ないことだ。しかし彼も出国を禁じられたそうで、残された道は2つとのこと。

 1つはワイロで国境警備隊を仲介する人物に払う慣行が横行しているそうだ(複雑な歴史を持つウクライナらしい、という言い方もできるだろう)。

 もう1つはロシア経由でジョージアなどへ抜ける方法。しかし2度も従軍した以上ロシア軍が通すはずもないとのこと。

 ウクライナの自由のために戦った彼が、「もうウクライナに戻ることはない。」と思うのも当然だろネ。

 当然と思うほどゼレンスキーの言葉が残酷に見えてしまい、戦犯の東条英機に重なってしまうのも仕方ないのかもしれない。個人的には「かもしれない」という言い方は嫌いだけど、問題が微妙なのであえて使ったしだい。必死に戦い命を落としたり・家族を殺されたり・身体の一部を失ったりした数限りないウクライナ国民を見聞きしてきたゼレンスキー(本人も命を賭けている)が、発作的(反射的)に地元メディアに言ったとおりの発言をしたのも理解できないわけではない。

 持って回った言い方をしているのは、国家を背負って国民を守り続けているゼレンスキーに個別の事情を考慮する余裕などないのも当然だろう。嘆願書にもあるとおり、兵士になるべき該当者のすべてが銃を持って戦えというのではなく、他の方法で国家のために尽くす(戦う)道もあることを記事は補足すべきだった。その点では侵略した側だった東条英機とは正反対だったにもかかわらず、ゼレンスキーが東条に見えてしまう人も現れてしまう、言葉足らずの記事が悪いのだ。

 出国したがる3人も3者3様に自分勝手だと見えてしまうのも自然ながら、彼らの個人的な心情だけから記事を書いてしまうのも大いに問題だ。

 被害者意識を駆り立てるだけの書き方は、常に問題なのだヨ。

 

(そもそも被害者意識はズウズウしくもプーチンさえ抱いているし、それを利用して国民統合を図っている。ネオ・ナチに虐待されているロシア系住民を守るというデタラメを流して、ロシア国民を結束させている。被害者意識は往々にして大きな間違いを起こすので、警戒しなければネ。長くなるのでこの辺で止めるけど。)