【読む】石川巧『読む戯曲(レーゼ・ドラマ)の読み方 久保田万太郎の台詞・ト書き・間』  越智治雄師と三好行雄師

 先ほど石川巧さんから新著(慶応義塾大学出版会、5000円+税)を贈っていただき、ありがたく思いながら「あとがき」を拝読したら、嬉しくなってすぐにブログに記したくなったヨ。石川さんがなぜ戯曲論を? という疑義も後書きに明記されていて納得しただけでなく、そこに吾が親愛なる師匠・越智治雄先生の名が出てきたので喜びが込み上げてきたのだろネ。ボクには2人の師匠がいるのだけど、三好行雄師には「親愛なる」などという言葉は冠することはできない心理的な溝があったのは確か。以前にも書いた気がするけど、三好師は存在そのもので(黙って)弟子を導く人である一方、学習院附属中学校で教員体験がある越智師はコミュニケーションを通して教育する人だったのだネ。

 くり返しになるけど、ボクの最初の論文「小林秀雄・その転位の様相」は、三好・越智両師たちの小林秀雄の共同研究を「愚論」呼ばわりした弟子としては有るまじきものだったけど、学界の評価はとても高かった。越智先生はすぐに長い手紙(秋山虔先生にいただいた手紙やハガキともども家宝だネ)をくれて、共同研究だったので各作品論のまとめは分担したから、ボクが批判した「Xへの手紙」論はご自分の考え方とは言えない事情を率直に打ち明けてくれたので、ビックリしながらも天にも昇る気持だったネ。

 一方、三好師は東大国語国文学会の機関誌に掲載するのを阻むことなどしないものの、一言の感想も無かったネ。数年後に発表当時「あれはセキヤ君の言うとおりだから仕方ない」と洩らしていた、と他の人から聞いて心中泣いて喜んだものだヨ。この「他の人」が石川さんの「あとがき」に出てくる林廣親だったかどうかは定かではないけど、東大助手も勤めた林さん(大学院の親しい後輩なので「さん」付けしたことがないので付けにくいナ)からはボクに対する三好師の深い思いやりを聞かされていたものだ。直接その手の思いやりを相手に伝えないところが、いかにも「含羞の人」たる三好師なのだネ。

 余談ながらその後もボクが三好師の論文を「愚論」呼ばわりしていたら、林さんから「セキヤさん、いい加減にしなさいヨ!」と叱られたのは忘れない。しかし大学院入試と都立高校の教採の両方に合格しながら、定時制の校長面接で「大学院は蹴ってもイイから教員に採用してくれ」と頼んだら、大学院へ行きながらでも良いから採用したいと言われて驚いたネ。それだけ若い力を欲していたくらい当時の定時制高校の現場(組合が強くて定年制が無かったのも一因)が腐っていたのだけど、詳細は省く。生徒とのコミュニケーションを第一にするので、7年間で2度卒業生を送り出した人たちとの付き合いは強く長く続いている(ブログにも記したけど、最近その一部のアル中やら失金症で苦労させられているけどネ)。

 

@ 懐かしい越智先生のことなどを記していたら長くなってしまい、これから同じ分量ほど書くこともあるので、いったん切るネ。先般ハカセとのメールで学生時代のことを書いた箇所をコピペしてブログに載せたら、早速エトワル君からもっと聞きたいと言われたので、いつかまたネと返信した。石川さんの「あとがき」にも昔が語られているので、ボクもつい昔話を記してしまったのだネ。