【見る】「英雄たちの選択」の失敗  鴎外の小倉左遷  鴎外の庶民観

 昨夜見たけど、平野啓一郎が出演した割にはツマラナイ内容だったネ。平野が三島についてほどは鴎外に詳しくなかったせいもあってか、番組が敷いたレールの方向に乗ったまま軌道修正できなかったネ。磯田さんが決めたのかどうかは不明ながら、鴎外は小倉左遷によって庶民の生き方に理解を示しつつも、それまでの自分の庶民離れを反省したという「お話し」をデッチ上げてしまっていた。まったくのデタラメだと思うヨ。

 そもそも鴎外は庶民との間に埋めようがない距離感を抱いていたのであり、小倉時代の短編にはむしろ庶民の抜け目のない欲望に強い嫌悪感を持ち、それを後に露わに表現した作品を読んで自分で確認してもらいたいものだ(岩波か筑摩の全集でしか読めないだろうけど)。例えば「鶏」(明治42・8)には単身赴任している石田という少佐参謀が、下女の婆さんにいつも家の食品を持ち出されていることを知らされ、怒りを抑えきれずすぐに別の下女に取り替えに行くのだ。別当(下男)も石田の米・味噌・醤油のみならず鶏や卵までも好き勝手に消費しているのを知り、怒りを露わにできないながらも耐えている様子が実に上手く描かれているのだ。

 学生時代に三好行雄師に教えられた「牛鍋」(明治43・1)という筑摩全集で2ぺージだけの超短編では、印半纏(しるしばんてん)の男と娘が鍋の中の牛肉を競うものの、娘が牛肉を箸で取ろうとすると男が常に、

「待ちねえ。そりゃまだ煮えていねえ。」

と言って食べさせることは絶えてない。語り手は浅草公園の母子猿の様子とこの男と娘の在りようを比較してみせる。子猿が芋を取ろうとするものの、たいていは母猿が奪ってしまう。しかしたまさか子猿が芋を食べても、母猿は見逃して子猿を叱ることはない。語り手は「人は猿よりも進化している。」という一句で作品を締めるが、もちろん皮肉以外ではない。三好師は「鴎外は人間のある種の欲望を見逃すことができない」という解説をしてくれたけれど、まさに庶民の欲望の貪欲さを許しがたい思いでいたに違いない。そんな庶民観を抱き続けていた鴎外が、それまでの自身の生き方を反省しつつ庶民に歩み寄った理解を示すようになったなどという、番組全体の鴎外解釈は完全に誤っていると言うほかない。

 歴史を語らせれば素晴らしい理解を披露する磯田道史さんも、なまじ文学者を取り上げたためにボロを出してしまったというところだろネ。無知なロバート・キャンベルのみならず、信用していた平野啓一郎までもが番組が用意した小倉時代の鴎外観に引きずられてしまったのにはガッカリしたネ。

 

 番組では鴎外の故郷である津和野(島根県)の映像を流していたけど、津和野を3度は訪れたボクとしては懐かしかったネ。小さな町の良さが十分発揮されているステキな所だから、行ってみるとイイよ、おススメだネ!