【読む】多田蔵人の泉鏡花解説  岩波文庫の成功 

 『高野聖・眉かくしの霊』(岩波文庫)を頂戴しすぐに多田蔵人さんの解説を拝読していたく感銘を受けたものの、それは前半のみを読んだ感想だった。解説ながらも「泉鏡花・幻の身振り」と題された気合の入ったもので、これまで山田有策・鈴木啓子さんというハイレベルの鏡花研究者と親しくしていただきながらも、このお2人とは異なる次元のトーンで鏡花を論じている迫力と面白さなので驚いたネ。既にこの文庫には吉田精一の「解説」が付いているけれど、気の抜けたソーダ水のような文章を読むのは事情を知らない一般読者くらいのものだろう。

 事情というのは鏡花論のみならず、吉田精一の研究は《終って》から久しいからだ。ボクの院生時代にもゼミで「吉田精一なんて読まない」と表明したら、立場上では吉田精一を師と仰ぐ三好行雄先生から「読まなきゃダメですヨ」と言われたのを忘れない。そんな「解説」を博物館のように収録したままの岩波文庫はクソ食らえと言いたいところながら、この文庫は新進気鋭の研究者である多田蔵人に鏡花論を書かせているのでバカにできない。解説なのに「幻の身振り」という独自の切り口を表題に表明しているので、鏡花論と言ってはばからない。

 などと風呂敷を広げてはいるものの、実は明治前半期の文学にはまるで無知であり、ましてや鏡花は読むのに苦労するので敬遠している身なので、「眉かくしの霊」は未読の作品だったことを恥ずかしげもなく自己暴露せざるをえない。文庫を贈っていただいてから、感想を書くまで時間がかかったのは「眉かくしの霊」を読むのに時間を要したのと、苦手な鏡花について書く気持を奮い立てるのにテマどったからだ。改めて「高野聖」論から再読した上で「眉かくしの霊」論まで通読したけれど、多田蔵人のスゴサを再確認して終ったネ。

 

 以前ヒッキー(疋田雅昭)先生から「多田さんの調べ方の徹底ぶりはスゴイですヨ」と言われていたし、小林秀雄論1冊を出している者としても多田さんから小林秀雄「実朝」についての研究発表の資料を送られた時も、その多量さに圧倒されて読み通す意力も失われたままだ。鏡花論も読んでもらえば瞭然としているとおり、独自な切り口を披露しながらもいちいち先行する研究者の名を上げて鏡花論なら何でも読んであるという「身振り」を欠かさない。博覧強記ぶりは(ボクが無知蒙昧なだけかもしれないけど)光明皇后は江戸戯作では婬婦とされているとか天狗道とは無関係ではないかもとか、ヒロインは「レディ、オブ、ゴダイウア」(ゴディヴァのチョコは食べたことあるけど)のような威厳に満ちた美も具えているとそのレリーフ写真も付されていたりで、多田さんの言う「鏡花を読む愉しみ」などこちらは何のこっちゃと言うほかないネ。

 「眉かくしの霊」論でも「柳多留」を引きながら「眉を隠すのは未婚の女性が既婚を演じてみるしぐさ」と教えてくれるのは役立つものの、「江戸を好む人ならよく知る類型だ」と言われるとバカにされている気がしないでもない。「眉かくしの霊」を論じながら「分身と三角関係が合わせ鏡のように輻輳する物語」として中上健次の名前も出てくるのだから、現代文学まで読んでいる多田さんの守備範囲の広さは呆れるばかり。

 論の末尾あたりでは大正期のレーゼ・ドラマの流行に触れながら龍之介の2つの作品名を上げたり、鏡花の「幻影」の物語が潤一郎・荷風・川端の作品へとつながって行くのだ、と近代文学全体を見すえた広い視野も展開している。短い論考ながらもゲップが出るほどあれこれ詰め込まれた充実した論だ。これだけでも読む価値と楽しみがあるもので、鏡花の2作品が付録に見えてくるというもの。

 これほどの文庫が570円+税でゲットできるのだから安いものだ、買うべし!

 

 前にも記したと思うけど、クロード(正しくは「くらひと」というらしい)は学大でボクが担任したチサト(川上千里)と結婚してから、敬称もなくボクからクロードと呼ばれている。前に記したのはおそらく大著『永井荷風』(東大出版会、2017年)の著者だから、荷風と同じく博覧強記なのは当然だったネ。妻子を愛している「身振り」は過剰なほどながら、それは決して「幻」ではないようだ。チサトもシアワセだネ。