【状況への失言】出生前検査  最首悟

 ボクが出生前検査について発言するのは奇異に思えるだろうけど、実はずいぶん前から気になっていたのだネ。何度も言うとおり、ブログでは結婚や誕生の話題は書かないようにしている。結婚や出産の喜びが、必ずしも皆さん共通の喜びとは限らないからだネ。子供が欲しいのにできない人がいれば、他人の出産を単純に祝う気になれないと察っせられるからネ。子供ができないので、精子の提供を受けて出産したという仲間もいるしサ。結婚も同じで望みながら果たせない人も少なくなさそうだからネ、もちろん好んで結婚しないと決めている人もいるかもしれないけどネ。ともあれノーテンキに○○に子供ができたヨ・○○が何とか結婚できた、などとブログには書かないようにしてメールで精一杯の祝言を送っているヨ。

 実際に知的障害児を持って苦労している仲間がいるわけじゃないけど、むかし遠い親戚で一人っ子がそういう子だったので生涯心から楽しまない家族がいたヨ。傍(はた)で見ていても伝わってくるからツラかったネ。外でそういう親子を見かけても、同じ思いを抱いてしまうヨ。相模原障害者施設殺傷事件の犯人・植松聖ほど狂信的でなくても、知的障害者を敬遠する傾向は多くの人間が秘めていることだろう。

 だからこそ東大助手でいながらも全共闘運動で闘っていた最首悟さんの4(?)人の子供の1人が、その手の障害児だったと知り・さらにその子を最首さんが格別可愛がっている様子を知った時はすごくショックを受けたものだ。元々親愛していた最首さんに対する思いが、尊敬に転じたのはそのためだったネ。「他の健常な子供より一段と可愛い」と言いながら、最首さんが格別な笑顔でその子を抱いていた写真は今でも忘れられないほどの衝撃だヨ。建て前として生涯児童を可愛がるとなどという程度じゃないのだネ、心底大事に可愛がっているのが伝わってくるからスゴイ! とてもマネができるレベルではない。(最首悟さんは検索すれば出てくるヨ)

 

 これを書き始めたきっかけは、朝日新聞(9月26日)に産婦人科医・関沢明彦さんが出生前検査について納得できる意見を記していたからだ。(長めに引用する)

 《厚生労働省の専門委員会が今年5月にまとめた出生前検査の報告書は「胎児の状況を正確に把握し、将来の予測をたて、妊婦やパートナーの家族形成のあり方などの意思決定の支援」が目的と位置づけました。その点は大きな進歩だと考えています。(略)一方で、当事者である妊婦さんがどう考え、どうしてほしいかという意見はなかなか反映されにくい状況でした。

 検査を受けることについて「命の選別」「安易な選択」といった意見もあります。しかし、その判断をする時、実際に妊婦さんがどれほど悩んでいるかを考えれば、そうした言葉を使うことに配慮が必要だと思います。》

 《結局、育てていくのは親です。経済的にも、社会的にも、置かれている状況は違います。私は、最終的にそれぞれの妊婦さんがよく考えて判断すべきことだと思っています。》

 上記の親戚は共に晩婚だったので障害児童が生まれやすかったという説もあるけど、当時生前前検査を受けていれば生まずに楽しい人生を送られた可能性もあっただろう。観念的なキレイごとの理由から生前前検査を拒絶する前に、自分の身としてよく検討すべきだと思う。最首さんの強さを持たない凡人ならなおさらだネ。妊娠したら、ともあれ関沢さんの意見を熟読してもらいたいネ。