瀬戸内国際美術展へ行こう!

テレビや新聞で取り上げられるたびに、前々から気になっていた瀬戸内国際美術展トリエンナーレ=3年に1回)に行ってきた。
ふだんは行きたい美術展も忙中見過ごすことがあって口惜しい思いをすることがあるのだけれど、夏休みの特権を行使して行ってきた。
実に刺激的で面白いから是非とも行ってみることをお勧めしたいのだけれど、ご参考までに体験を記すので計画を充実させてもらいたい。
まず2泊3日くらいでは満足に回りきれないし、このクソ暑いのにもの凄く混雑していてタイヘンだ。
夏休みだから混むのだろうけど、アジアからも欧米からも観光客が押し寄せている感じで、歓迎しながらもホンネはチョッと迷惑?
いや、それ以上に何でも「バスに乗り遅れるナ!」式に押し寄せたり・行列を作ったりしたがる日本人の一大傾向が嫌になってしまう。
例えばメインの直島に行こうと高速船の出航時間に行ってみると、(配布されている案内の出航時間とは異なっているばかりでなく)人数が超過しているとかで乗船拒否されてしまう。
確かにその高速船とやらを見れば、フェリーと比べれると小型船にしか見えないのでナルホド・・・チクショー!
やっと直島にたどり着いても、美術館へのバスに乗るのも一苦労。
着いたところで人気の地中美術館は、2時間近く待たないと入場さえできないという惨状。
入って分かったのは、展示によって一度に入室できる数が制限されるということ(8人までとか)。
これじゃぁ混雑は免れないのも当然だが、確かに人数制限しないと空気感を含めた全体像が十分に観賞できない。
都内の美術展でよく見かけるオシャベリオバサンに閉口させられている身からすれば、「静寂」を徹底してくれるのはとても有り難いのだけれど、モネの睡蓮画を(たぶんオランジュリー美術館を意識して)白壁に沿って並べるのは分かるものの、小石張りの白床のためにスリッパに履き替えさせるまでのことはあるのか、疑問が残った。
(秋学期には小林秀雄「近代絵画」を取り上げるので、そのためには役立ったけど。)
どうみても、美術展全体が大人数を予想していない作りになっているのが、そもそもの思惑違い。
到着日は時間の余裕が無いので小島で近場の女木島を選ばざるをえなかったが、そのメイン(?)の洞穴がインチキ臭くてやり切れなかった。
500円の入場券を売っている人が、いちいち「済みませ〜ん!」と言いながら切符を渡す気持は洞穴の中に入ると分かる。
もともと桃太郎に退治された鬼の棲家として作られた洞穴で、地元の子供達が作った鬼瓦があちこちに展示されていて閉口するばかり。
それでも2つ、外国人芸術家のビデオ作品が脈絡を無視して置かれているが、お座なりに展示されているようで白ける気持の方が先立つ。
そこで提案だが、遠くて不便な所にあるものの、鳴門の大塚国際美術館へ無理してでも行くことを勧めたい。(3日間の予定では足りないと記したのもそのため。)
こちらはずいぶん前から取り沙汰されているので周知だろうが、本物の絵の写真をタイルに焼き付けて展示しているからといってバカにできない。
実はボクも当初はバカにしていたものの、放送大学の二人の美術講師(1人は青山というシャベリの語尾がワンパターンでウンザリさせられる御仁)が揃って絶賛していたので行く気になった。
なるほどスゴ〜イ!!!
何より絵画だけでなく、絵が置かれている現場そのものが原寸大で再現されているのである。
それも古代から現代までの建築と美術が、一日では観きれないほどの分量で再現されているのだからビックリ!
もともと絵画は建築と切り離せないものなので、絵画が建築と独立して観賞されるようになった近代以降の作品よりも、古代から中世の展示を中心に観ることを勧める。
例えば有名なミケランジェロの「最後の審判」等の絵が、ヴァチカンのシスチーナ礼拝堂それ自体の再現の中に展示されているのだから、これだけでも一見の価値があろうというもの。
瀬戸内の美術展と絡めて、この際鳴門まで脚を伸ばすことを勧めるが、日程的に余裕が無いと強行軍を覚悟せねばならないので注意!
今回は美術展に絡めて、夜は著者を交えて樫原修氏の近著『「私」という方法』を合評するという盛り沢山の日程で、心身共に溢れるほど詰め込んではち切れそうな気分。
文学論も楽しいが、美術の鑑賞もそれに劣らず楽しい。
早く退職したい気持を改めて噛みしめたしだい。