プロ野球( 日本ハム  栗山監督  大谷翔平  デーブ楽天監督  沢村一拓 )  その1

年金生活者の「天国と地獄」について、家族向けに文章化していたので、ブログを記す余裕を楽しむのも久しぶりな感じ。
授業や学生のための時間に追われることなく(今も学生・卒業生の要求しだいで腰軽に応じているが)、自由に時間を過ごす「天国」については放言したり書いたりしてきたが、収入が4分の1か5分の1に減少した結果の「地獄」について内向けに説明する必要があった。
フツーならそれほど不自由なく老後の生活を楽しめているはずなのであるが、望んでもいないのにソーラーシステムなどを背負わされて(家と私)あえいでいる状況。
お蔭で不要に室温が高くて仕事にならず、真冬以外は自室のドアを開けっ放しにしているのに、このシステムの分だけローンが残って年金の半分超が引かれる「地獄」である。
しかし望んで「清貧」の生活を志してけっこうエンジョイしているのでご心配なく!
本人が「清貧」の生活を楽しんでいても、身近な者には許し難く認め難く責めたくなるのも分からぬではないが、理解できないのも「地獄」なら理解されないのも「地獄」ではある。
我を知る者に言わせれば、「もともと「地獄」でしょ」ということになるが、新たな負荷が加わった「地獄」ということである。
とはいえ慣れもあってか、気持を軽く保っていられるのが救いである。
論理を尽くして文章化したらサッパリしたので(その後ある程度の理解は得られた模様)、一休みしながらNHKBS「プレミアムシアター」で「テンペスト」を観ているのだがツマラナイ。
白石晃という演出家を始め、古谷一行その他の役者が皆面白くない。
作品に魅力が無いのか(チャイコフスキーが感動して曲を書いていたと思う)、演出や演者が悪いのか、全然惹きつけられない。
というわけでテレビをつけながらブログを開いてしまった(この記事を書き始めたのは5日の深夜)。
退職前に比べれば時間的余裕はできたものの、書きたいことがすぐに書けるほどのヒマ人でもない。
書きたくない原稿は断ったが(中国古典作品との関連を書けという注文に興味が無かったので)、書きたいブログもセーヴしないとキリが無い、のだが・・・

それにしても熱戦が続くサッカーよりも、野球好きな人間にとっては、今シーズンは興味津々、ワクワクして観ている(といっても、日ハムの試合中継は少ないが)。
未だに私を阪神ファンだと思っている御仁もいるかもしれないが、一昨年から日ハムを第一に応援している。
優勝したからでは勿論ない、監督が学大出身の栗山氏になってからである。
学大を卒業したわけではないが、20年超学大に身を置いて学大生と付き合っていれば、栗山氏を(日ハムを)応援したくなるのも当然だろう。
セパ交流試合で阪神と戦っても、日ハム頑張れ! という気持に(無理にでも)なるのである(時々阪神が得点すると手を叩いてしまうボケでもある)。
栗山さんは学大に非常勤講師に来ていたこともあって、キャンパスで顔を合わせてしまうと挨拶をしてしまって氏を困惑させたこともあったが、ヤクルトの選手だった彼を(引退してからもタレントとしての氏を)テレビで見ていたせいか、つい頭を下げる程度の挨拶が出たのである。
コーチを経ずにいきなり監督になるというのが、そもそも無理なハナシだから当然失敗(Bクラスの下)するだろうと予想していたら、何と最初から優勝してしまったのだから「名監督」と言っていいのだろうと思う。
無思慮な日ハムのフロントが優勝に貢献した糸井を放出してしまった昨シーズンからも、それなりに健闘しているのだから(現在3位)タダモノではない。
「名監督」といえば何といっても三原脩西鉄ライオンズ(西武ではない)監督だと思うが、西鉄を何度も優勝させた後も、万年最下位だった大洋(現・DeNA)や近鉄(現・楽天)等をいきなり優勝させてしまったスゴイ人である。
栗山氏はタイプは違えど、選手の育て方・使い方には人並み外れたところがある。
1年目のハンカチ王子(斎藤投手)を勝たせたり(プロ入り前にできあがっていたので伸びシロがない)、開幕以来20打数を超えてもヒットが無い中田を4番で使い続けたり、他の監督ならできそうもないことをやる。
アメリカで野球をすることに決めていた大谷を翻意させ得たのは栗山氏の説得が大きいと受け止めているが、その後も「二刀流」の追求を認めながら育てているのは他の監督にはない「教育者」的存在だからであろう。
今シーズンは抑えの武田久が崩れ、代った増井も持たずで決め手を欠いているのに、中継ぎまでが総崩れに近い(ドラゴンズほどではないが)のに、よくも勝ち越していられるものと感心している。