年賀状

松立つや老いてますます盛んなり  一茶ん(いっちゃん)  (「盛ん」とは何がじゃ?)
 録音し溜めた音楽を聴きながら、買いおいた本や画集を開く時の至福感は年金生活者の特権でしょう。
月に一度のヒグラシゼミと、依頼に応じた論文指導も含めて、自分のために生きる時間を味わうのは、退職したからこその満足感。しかしそれもカネのために働け! と迫るジャミラ(テキから改称)の抑圧に耐えながらのもの、という逆境はあい変らず。後進に道を譲るためにも廃業宣言はしたものの、頼まれたら断れなくなっている微妙な立場にいるのは確かなようで、男はツライ。「同情するなら酒送れ!」とは昔のドラマをもじった冗談ながら、三月の卒業生との集いで頂戴した酒類は、イチローファミリーのゼミ部と釣り部で満喫させていただいています。秋に軽い肺炎を患い、「死に至る病い」(キルケゴール)を内包することでボケる前に死ねる可能性を獲得できたのはせめてもの喜び。死ぬよりボケる方がコワイものですゾ。
 (報告)『現代文学史研究』第二一集に「川上弘美『神様』の読み方・教え方」を発表しました。

以上が今年の賀状です。( )内は蛇足ながら、鈍い人のために付したもの。
初案は「門松立(まつ)てて」だったけど、「老いて」の「て」もあって「て」がシツコクなるので避けたもの。
しかし「松立つや」の方が勃起のイメージが強く出るので良い、とケン爺に言われてホッとした。
ケン爺は俳句にも詳しくて、この種の下ネタ俳句が俳人としての滝井孝作や金子兜太にもあると教えてくれた。
とはいえ「一茶ん」のは俳句とも言えないと思ってはいるけど。
さりとて川柳にもなっていないと卑下する判断力も具えているので、以前の賀状の文言について長島弘明氏(東大教授)から説得力ある訂正案を教えてもらった時は、さすがに専門家の見識はスゴイと感心したものだ。
学界のスケバンからの賀状に一筆、ジャミラの出典を問われたけれど、何度も記したように田口ランディ「富士山」(文庫あり)に出てくるゴミ屋敷のババアの名前から拝借した。
もともとは仮面ライダー(?)に出てくる怪獣の名前だったそうだけれど、ともあれジャミラの部屋はゴミ屋敷同然の状態なので、我ながらでかした命名だと自負している。
この部屋の一部にはイチロー君の本棚もあるので、一度ならずイチローが片付けたのだけれど、最悪の時はジャミラのゴミ屋敷のように不用品の間を潜り抜けて本棚まで辿り着いたものだ。
ジャミラにはカネにならない作業は全くの無駄に見えるらしく、机に向かっているだけのイチローは無為を重ねているだけと思い込み、一昨日も「職安に行って仕事を探してきたら!」と声を張り上げていたものだ。
身体が不自由になった時に、より贅沢な施設に入るための貯蓄を少しでも増やすために、イチローに働きに出ろと言い続けているので、賀状の「至福感」はジャミラがおとなしくしている時だけネ。
だからホントの「至福感」は自家を離れてファミリーの皆とゼミ部・釣り部・呑み部の活動をしている時だネ。(いつの間にか「つぶやき」口調になった)

これを記しながら見ていた市川雷蔵の「大菩薩峠」が終ったから、ここまでネ。