放送大学 青山昌文 小澤とキーン ユダヤ人問題

(眠いので仕事にならず、溜まったブログを書くことにした。)
昨晩は早々と珍しく午前1時過ぎには寝に入ったけれど、そんな時間に入浴するジャミラの足音などで寝付きは悪かった(体重14キロ・オーバーだもんナ)。
それでも4時半過ぎには置きだして仕事をしたけど、頭があまりスッキリとはしない。
6時からは放送大学の「美学芸術学研究」の最終回を流しながら、漱石虞美人草」を流し読みした。
前にも記したけど、講師の青山昌文というのが鈍物で大学院向けと銘打ちながら深みがなく、あまり聴く価値を感じないものの今回は若い頃の蜷川幸雄が出てきて笑えた(現在との落差!)。
青山は「実に・まさに・素晴らしい」などと同じ言葉を何度も何度も繰り返すほどボキャブラリーが貧しい御仁だが、「美学」になったら特に「印刷教材に書いておきましたけれど」というフレーズを数分に1回くらいの割合でドン臭く繰り返すので、いよいよ脳軟化(最近使わない言葉になった?)になっちまった、とこれも笑えた。
美術分野の講義では宮下規久朗さん達も出ているのだから使えばいいのに、オペラや映画では映像を流すだけで薄っぺらな解説しか言えないドンブツの青山に15回も担当させるのは所詮無理というもの。
オペラと言えば、先日キーンがフルトベングラーを生で聴いたと羨ましいことを言ってたけど、その「フィデリオ」を歌っていたフラグスタートを今聴きながら記しているところ。
ベートーベンじゃなくてワーグナーワルキューレ」第一幕なんだけど、指揮がまたスゴくてあのクナパーツブッシュでウィーフィル。
「あの」と言うのはナチを支持したために戦後は干された指揮者ということで、キーンの話にも出てきた指揮者のワルターユダヤ人音楽家に追われた次第。
それでもクナのこの演奏は空前絶後と言っていいほど素晴らしい(青山の口マネ?)演奏だと断言する。
昔ラジオで流したのをオープンデッキで録音したものを聴いているので、最初の感動が蘇ってくるほど圧倒的!
録音が古いので温室は良くないけれど、聴くのは音じゃなくて音楽だから問題無し。
難しい問題だけど、クナがナチを熱狂的に支持していようが、この「ワルキューレ」はワーグナーらしさを表現したという点では最高級のものだ。
ワーグナーもナチに利用される以前に、紛れもなく反ユダヤの立場を貫いたけれど、そしてそれは間違った考え方ではあるものの、だからといってワーグナーやクナの演奏が否定されていいことにはならないと信ずる。
ホロコーストに遭ったユダヤ人がそれらを頭ごなしに否定する気持は理解できるが、賛同はできない。
イスラエルではワーグナーの演奏は歓迎されないのも当然ではあろうが、政治色抜きに音楽を楽しむことは間違っていないと思う。
著名な「オリエンタリズム」の筆者サイードの協力を得ながら、指揮者でピアニストのバレンボイム(確か2人ともユダヤ系)がイスラエルパレスチナの若者を集めてオーケストラを組織したり、イスラエルワーグナーを演奏したりしている努力を忘れてななるまい(どうしても聴きたくない人は会場から出てもらって演奏したとか)。
この問題を先日のキーンと小澤征爾も語っていたので、再放送を期待してもらいたい。
実はここまでが前振りで、別のことを書こうと思っていたのだけれど眠くて仕方ないからオヤスミ!