(補遺) 美学  青山昌文  百田尚樹  「三四郎」

青山の美学の放送第1回で呆れたというかクダラナイと思ったのは、「美学」という学問のツマラナサだった。
青山という研究者個人の問題なのだろうけれど、美学という学問の定義をめぐってアリストテレスその他の定義を言葉の上だけでイジルだけ、青山は先人の定義を小手先・言葉尻だけで合わせることに汲々として終っていた。
言葉の上だけで帳尻が合えば事が済むと思っているところが青山の浅さなのだろうけれど、それをさも手柄を立てたかのように錯覚して自慢げに己の定義をさらして見せるのだから、よほど神経が鈍く頭が悪いのだろう。
美学という学問は我々が学生時代から既に蔑視の対象だったけれど、美学科の同級生(全共闘支持)たちは同意してなかったようではあるものの、今道友信という主任教授の評判は悪かった。
全共闘の時代だったせいもあったけれど、今から振り返れば今道氏が正当な評価を得ていたとも思えない。
全共闘全学連と異なり特定のイデオロギー(革命志向など)を持たなかったけれど、既成勢力には抵抗していたのでやむを得ない勢いだったということだろう。
放送大学アーカイブで聴いた今道氏の講義は意想外に充実していたもので、これなら学生時代に聴いておけば良かったとも思った。
(このブログは昼間は日ハムの在原の好投を見捨てて途中からチャンネルをBS1に変え、「映像の世紀」⑦⑧(第二次世界大戦)を見ながら夜は「戦争とプロパガンダ」(日米戦)をよそ眼に記している。
連休だから特番が多いが、こうしたリアルな映像で戦争とその背景を伝えるのは既に書いたとおり、好戦的で無恥な安倍晋三とその国民の一部(と無知な若者たち)のために貴重で将来に伝えたいものだ。)
好戦的と言えば石原慎太郎を代表として最近では「永遠のゼロ」の百田尚樹などが思い浮かぶが、総じて通俗文学の作家の特徴ではある。
百田が自民党の低能議員たちの集まりで、沖縄の新聞は皆ツブセという「暴言」を吐いたことと、小説や映画から得た感銘(未読なので推測ながら)とのイメージが真逆なので意外に感じた人もいるであろうが、驚くほどのことでもない。
一緒にくくっては失礼ながら、ワーグナーやクナパーツブッシュ(指揮者)が反ユダヤ主義者ではありながらも優れた音楽家だったことを想起すればいい。
百田が政治的にはどんなにオバカで厚かましかろうが、その作品が読む(見る)人に感動を与えても矛盾ではないのだ。
だからこそ怖いというもの。
面白がって読んでいるうちに理性を失い・好戦的に仕向けられてしまうことはありがちなことだから。
三四郎」広田先生ではないが「気をつけなければいけない」のだ。
日露戦争に勝って勢いづく日本を、冷静な観察に基づいて「亡びるね」と断言するのだから三四郎が驚くのももっともだ。
「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」と先生は付け加える。
広田先生の言葉が百田や慎太郎(や安倍晋三)に理解できれば、まだ日本は「亡びる」ことを免れることができるかもしれない。

@ 日ハムがソフトバンク相手に、また勝っちゃった!
  (阪神は案の定また負けたけど、広島まで黒田が投げて負けるとは!)