懲りずに食中り  毒ハタ(築地で販売) コアラとユウカリ(毒草)  イチロー昔話

昨日は二度とやるまいと思っていた食中毒になって、上から出すやら下から出すやら・・・レベルとしては弱かったので少量だったけれど。
何から何まで出しっぱなしのジャミラの、食べ物については特に注意していたのだけれど、柴漬け(と鮭)を絡めたご飯だったので油断してしまった。
1回食べてから放置されていたので、慌てて残りを冷蔵庫に入れた時には既に腐敗菌に汚染されていた模様。
翌日だったかチンして食べて暫くしたらヤッチマッタことが判明。
手を打つのが遅かった! 暖かくなったことだし、先手先手で冷蔵庫にブチ込まなければ、と決意を新たにしちょります。

食中毒と言えば、築地で沖縄産のハタを誤って売ってしまってから気付いたものの、中ったという届けが無かったのでホッとしたという話があったネ。
要はあの魚種が全て毒を持っているわけじゃない、ということだと思う。
魚の場合は食餌(エサ)にしている海藻類に毒があり、それを食べている量に応じて症状が出る出ないとなるようだから、食べた6世帯とも美味しく味わったとしても不思議はないわけネ、ハタに限らず。
フグについては詳しくないけど、あのハタは自力で毒を作る能力があるわけではなく、毒のあるエサから摂取してしまっているだけの話で、毒魚と決めつけてしまってはカワイソー。

食餌に応じて変わる例はコアラが面白い。
エサにしているユウカリに強い毒素が含まれており、それを消化するためにコアラは長い休養(睡眠)が必要なんだネ。
消化する酵素は母親のウンコを舐めて取り入れるのだから、良い子はマネしない方がいいネ。
とっても興味深いのはオーストラリアの東部の1地域では、食餌がユウカリではない無毒の葉を食べているそうだ。
彼らは他のコアラと異なり、活動も活発で鳴き声まで響かせるというのだからマイッタね。
コリャアうそだヨ、という落ちにはならず、コラアほんとうのコアラの話だヨ。
イチローは教養があって何でも知ってるンだよ、教養部に7年も在籍してたから「教養の塊り」なんだナ。
(専門課程に進学してからも、取り残していた自然科学の単位を7年目にしてお情けでもらい卒業できたのだヨ、正確にいうと社会科学も同様。)
例のコピー、《学部7年、院7年》というやつネ、これも良い子はマネしちゃいけないヨ、学費だけでもタイヘンだから。
イチローの学生時代の学費が1ケ月1000円だったから(もちろんアパート代みたいに月々払いに行ったのではなく、半月ごとにまとめてネ)何とか自分で払いながら自活できただけの話。
今の日本の学費は私立も公立もなくひたすら高すぎるよネ、教育費が高価という国はロクでもないヨ。
集団的自衛権などと不要な危険を請け負い)軍事費にカネかけるなら教育費に回して、授業料を目いっぱい下げろ! っていうことネ。

ジャミラのネタに戻ると、イチローがコアラのように小まめに眠るのは、食餌がジャミラ草だからだヨ。
毒草が強いクソ女、じゃなくて草オンナだからだネ。
ジャミラは機会をとらえては「あなたのウチはビンボーだから」と口にしたがるけど、結婚した頃のウチの状態しか知らないからなんだネ。
そう言うことによってジャミラは精神的なバランスを取ったり・コンプレックスを解消している模様だから、黙って放置しておくけどネ、ジャミラも「良家のお嬢さん」ということでもないから。
でもジャミラの言葉を姉や親類たちが聞いたら激怒するだろうネ、きっと。
ボク等が結婚する前に、両親とも身体が弱ってきたので、ウチが出していた傾きかけていた街中の店をボクがツブして、その代わりとして養っていたのだネ。
今日は親戚の法事で前橋に行ってきたけど、親類の人たちに会う度に誰からでも例外なく聞かされるのは、ウチがいかにゼイタクな生活をしていたか、という話ばかりネ。
パターン化されていて、今日も10歳上のハトコの女性から「子どもの頃にセキヤのウチに行くと、床下からサイダーやらカルピスを出して飲ませてくれた」といういつもの話。
昭和10代・20年代のことだから飲む機会が少なかったらしいけど、今日初めて聞いたのはタラコを食べたのもセキヤのウチでだったとか。
祖母も両親も子供や客に対するサービス精神が旺盛で、だからこそいつも客人が集まっていたもんだネ。
夜になるといつも近所の交番などから警察官が集まってきては(タダ同然で呑めたからかナ)、親父と呑んで猥歌を怒鳴っていたネ、
卑猥な意味だというのはオトナになってから判明したけどネ。
ともあれ両親は45歳で早逝した祖父に代り、弟妹4人を育てたり・女学校に行かせたり・仕事に就かせたり・店を出してやり・結婚させたりの連続だったから、貯金は無かったけれど日々の生活は豊かだったイメージしかない。
中でも忘れられないのはお茶と海苔ネ、外で飲んだり食べたりする茶や海苔が不味いのはなぜか、長いこと考え及ばなかったけど、ウチでけっこうイイ茶・海苔を食していたせいだったンだネ。
昼間から遊郭に入り浸っていた(?)祖父の気質・精神を受け継いだわけじゃないだろうけど、「宵越しのカネは持たねエ」というところがあったンだろうネ、上州はヤクザの名産地だし。
懐かしい人たちと昔話をしてきたせいかタラコならずダラダラと記してしまったけど、親父の一番下の弟で前橋空襲で敗戦直前に亡くなった当時15歳の叔父について、知ってる人に出会えなかったのは残念だったナ。