飛んだ記憶(飛んだはトンダの意も含む)  野外コンサート  「男・女・その他」の3分法

桐原(浜田氏)から高級日本酒とタミさんから吟醸いいちこの差入れあり、その他ヨリコ嬢とクリマン君から珍味のツマミ、ヒッキー研究室から酒類各種をいただいた。
ふだんは呑めない美酒に酔って今日もチョッとだけ危なかったかな、イスから転げ落ちそうになったくらいだから。
呑んで寝てしまうのはよくあることながら、今日は横に倒れそうになったところをヨリコ嬢に止めてもらって助かった。
一眠りするといつものようにシッカリしたつもりだったけれど、記憶の方が再生できずにタミさんから「またセンセイにオガワると言われそうだから・・・」と言われてもその場では意味が分からなかった。
自家に帰ってきたら思い出したけれど、自分で作ったギャグを一時的に忘れてしまうとは危ないアブナイ。
ちなみにオガワルというのは、フツーの人ならやらないようなトンマな行動を意味する、タミさんもしばしばトンダことをやらかす人なのだ。

帰宅してからも食事をしながら眠り込んでしまったのだけれど、目覚めたら「プレミアムシアター」が始まっていて最初から録画することができなかった。
前半はウィーンフィルの夏恒例のシェーンブルン宮殿庭園のコンサートで、場所としては懐かしいものの指揮者の名前が出てこない。
ウィーンでも番組後半のベルリンでも、音楽祭の観客は交響曲や協奏曲などの複数楽章からできている曲の場合、楽章が終る度に拍手をする人が多い(演奏家が可哀想!)ので日本の観客の方が水準が高いと思ってしまう。
この二つの音楽祭は野外で公開されている(?)ので観客の水準が下がるのだろうネ、室内の演奏会では曲の途中で拍手などしないだろうから。
学大の学園祭でも毎年噴水周辺で野外コンサートをやって学生の元気な様子が見られたけれど、ウルサイから野外ではなく室内でやれと主張していた教員がいたけれど(岩田重則といったかな)、その手の無教養なヤカラがすぐ拍手したがるのだろうネ。
今や学大では噴水もフタをされてしまい(ウルサイものにはフタということか、学生に対する抑圧だネ)、大人しい人達の憩いの場となっている。
ともあれ演奏会半ばになってやっとビシュコフ(美酒という言葉が入っていてイイね)という名前を思い出したのだけれど、オガワルと共に記憶が呼び戻されるまで時間がかかるのは不安材料。
ビシュコフはそれなりの演奏をするのだけれど、最初に見た時から下唇が異常に大きくて垂れ下がって見えるので拒否反応が続いているから、意識して指揮者のアップは見ないようにしている。
幸い指揮者だから自分では声(音)を出さないから、見ないようにすれば済むので大丈夫だけど、最近はコマーシャルにマツコデラックスのみならず無芸で大声の厚切りジェイソンまで出てくるので、消音スイッチを入れるまで不愉快な思いを強いられる。
そう言えば、先日昼番組で男性司会者の好感度を順位付けていて、マツコが5番目くらいに入っていたのでイヤな時代だと思ったけれど、すぐに苦笑が漏れたのはマツコ自身はこの順位点けを嫌がっているだろうと思った時。
本人が「男性」の意識でいないのに、最初から男として位置づけられた上でエントリーさせられていたのだから、素直に喜べなかったのではないだろうか?
GLBTの存在を認めようという時代に、無理やり男女の二分法で分けてしまうのはデリカシーに欠けた差別になるだろう。
マツコやジェイソン自体にはデリカシーが欠落していると感じているけれど(ジェイソンはG等ではないか)、このご時世二分法は止めてせめて「男・女・その他」の3分法にするべきだろう。
この3分法は、今日別の演習室で月に1度「小倉百人一首」のゼミを続けている嶋中道則さん(久しぶりに会えて嬉しかった)に、10年前くらいの国語科の会議中に履歴書は「男・女」だけでなく「その他」も入れるべきだよネと言ったらすぐに賛同してくれたのを覚えている(公言ではなく私語だヨ)。