津島佑子「黙市」  小森陽一  千石英世『異性文学論』

演習で取り上げるというので、改めてジックリ読んでみたら川端康成賞(年間の最良短篇に授賞)に価する充実した質量の作品だった。
津島佑子を、そして「黙市」について発表するという留学生がどこまで分かった上で作家・作品を選んでいるかは不明ながら、結果的にはスゴイ選択だと褒めるべきだろう。
吉田修一にしても津島佑子にしても、気になって買い溜めておいた現代作家の小説類が、法政大院の授業をさせてもらったお蔭で読むチャンスが得られて喜んでいる。
それにしても津島佑子は面白いのだけれど、発表の方はその面白さに迫ることができたかな?
津島を選んだだけにチョーさんはよく勉強しているようだけれど、レジュメを読むのがチョー速くて老齢耳が遠くなりつつあるボクには聞き取れない言葉が少なくない。
レジュメは勉強の跡がよく出ていて、「父・兄・夫」などの「男」の「不在」を確認しながらフェミニズムに落とし込もうとしているけれど、ごく有りがちな津島論になってしまうと危惧される。
案の定カンナイ君から《この小説から、津島は血縁関係と社会制度のもとに作り上げた「父親」を拒否することがわかる。》という結論部分に疑念を突き付けられても、終始十分な説明することができなかった。
カンナイ君の言う通り、「拒否」と言いきっては引用していた長谷川啓氏の論のウーマン・リブ運動やフェミニズムの観点に依る津島論から、自分の論理を差異化することができないだろう。
根本的にはフェミニズム理解が十分でないのが弱点だけれど、いくら勉強してもその観点にこだわる限り従来の津島論から脱け出すことは無理だと思う。
「父親の拒否」で押し切ろうとガンバリ続けたチョーさんだったけど、言葉に詰まって不用意に(?)洩らした「父親は猫だ」(言葉の復元は正確ではないかも)という《読み》は、ボクが用意していたものと重なったのでビックリした。
あまり深く考えたわけではないらしいのは、「黙市」の父親は登場する猫であるという読み方を説明することができなかったことからも分かるけれど、「父親の拒否」やフェミニズムにこだわるよりはずっと面白い論になるはずだ。
猫が父親を表す(表象)記号として読める傍証を、ボクがテクストから例示してみせたのだけれど、その線で「黙市」を分析・読解すれば画期的な津島作品論になるはずだと思うので参考にしてもらいたいものだ。
カンナイ君のレジュメは作中の3種類の〈住居〉に注目したユニークな論点を提出してみせたけれど、そのまま進むと「部屋」の「空間」を中心にして津島文学を論じたルーさん(小森陽一)の外れ方・限界と同列になると感じた。
カンナイ君はルーさんが嫌いなので心外な模様だったけれど、学生の頃から新しい理論を吸収していた中丸先生がいる大学の院生がルーさんを嫌うというのがチョッと意外だったけど、理論の問題ではなくやはり人格の問題なのかな。
ルーさんの人間として・研究者としてのウサン臭さが嫌われるということなンだろナ。

いくつか読んだ津島佑子論でバツグンに面白かったのは、千石英世『異性文学論』収録のものだった。
文芸評論家としてはルーさんより遥かに切れ味がイイのは歴然、雲泥の差を露わにした津島佑子論に止まらない。
ただし段々論旨が複雑あるいは混乱して行くので、全体を理解するのは困難(本人でさえ?)だろう。
初出掲載誌『群像』があったのでチョーさんに上げたけれど、留学生でなくても理解しにくい論だから気にする必要は無い。