『村上春樹と二十一世紀』  宇佐美毅  小森陽一  研究と評論

宇佐美毅・千田洋幸編著のシリーズ3冊目、おうふうより2500円+税金。
編者を始めとする東京学芸大学出身と、宇佐美氏が勤務する中央大学出身の研究者が中心となって縦横にハルキ文学を論じて充実していておススメ!
編者以外でも野中潤・山田夏樹・矢野利裕と著書も出しながら活躍している研究者もいれば、田村謙典・大川武司・石川治樹・早川香世など優れた論で知られた若手のみならず、齋藤祐クンという懐かしい元演劇青年(?)の名もあってモノスゴク魅力的。
とはいえこちらがハルキの作品を十分読んでないのですぐには対応できない上に、千田氏を始めとして漫画などサブカルチャーにも詳しいツワモノ達がそれ等との関連を論じているので、「重篤な文学主義者」を自称する老人にはハードルが高いのが弱み。
今、黒岩裕市『ゲイの可視化を読む』の第1章のハルキ論を読んでいる最中で(ブログでも記した通り)、不勉強な身には前代未聞の刺激を受けているところだけれど、気付いたのは「スプートニクの恋人」という作品を105円で買ったまま(ハルキ本は5年以上経ってから買って読むので)未読だったこと。
どうもハルキ熱が周囲よりだいぶ低いようだけれど、本音のところでは評価も低いのかな、ノーベル賞騒ぎがいつも空しく見えるし。
でも黒岩論を読むために「東京奇譚集」を読み直したら意外に面白かったものの、スプートニクの方はまだ引き込まれていない。
そんな主観的状況ながら親しい論者名に惹かれながら読んでいくのが楽しみ。
実は最近シリーズの最初『村上春樹と一九八〇年代』を取り出してきて、宇佐美氏の論を読もうとしていた矢先だった。
というのも氏のテレビドラマ論の著書を前にして、ハードルの高い明治初期文学を専門としていた著者が何でテレビやハルキなどを論じているのか、さっぱり理解できなかったからだ(以前ブログにも記した)。
テレビドラマは全く見ないので、ハルキ論を読めばその理由が分かるかもと考えたからだった。
そこにちょうど今回の著書を贈っていただいたので、その中から宇佐美氏の論考を拝読しているところ。
なんといっても、他の論の表題・副題が不勉強な身には拒否感に満ちている中で、宇佐美氏の論の副題が「〈成長すること〉の意味」だからこちらとしてもお手のモノ、「和解」論などで展開したテーマだから。
とっても分かりやすい論ではあるものの、宇佐美氏がハルキ(やテレビドラマ)に打ち込んでいる理由は分からないままだ。

このシリーズが評価されるべきは、各作品の研究史が充実しているところ。
今回の「東京奇譚集」を覗いたら津久井伸子さん(宇都宮大院修了生)の論考もキチンと位置付けられていて嬉しかった。
ところが野中潤氏が執筆している「海辺のカフカ研究史には『学芸国語国文』に掲載された河田小百合さんの論が無視されていてガッカリ。
水準以上の論考で教えられたものだけれど、野中氏としては後輩には意識的に厳しく臨んだ結果なのかな?
カフカ研究史ではルーさん(小森陽一)の論が否定的に位置づけられているけれど、紹介されている論点からすれば真っ当な研究とは言えないルーさんの〈評論〉を〈研究〉史に取り込むからネガティブな評価になってしまうので、面白ければイイとする〈評論〉を〈研究〉史の観点からページを割くのは無駄な印象だ。
野中氏は「精神分析的」な観点から数本カフカ論を展開している木部則雄氏の論考を、《文学研究とは似て非なるものである》と断罪しているのだから、ルーさんの論に対しても同じ断罪をしてあげた上で無視すれば済むはずである。
それとも未だに(オウム麻原と同じく)呪縛から覚めない小森信者の存在を慮って、否定的な扱いにしろルーさんを取り上げざるをえなかったのかな?
無恥(ルー小森)が無知(小森信者)を動かす時代がまだ終わっていないということなら嘆かわしい限り。