中川成美『戦争を読む 70冊の小説案内』のおススメ

近代文学研究では一線級の中川さんが、充実した啓蒙書を出したので紹介したい。
昔『京都新聞』に連載されたものを岩波新書にしたものだとのことで、必ずしも「戦争」に関わる作品だけでもないという断わりもある。
さすがに海外の文学・思想に詳しい中川さんのことだから、70の小説もバラエティに富んでいるのは言うまでもない。
聞いたこともないような外国人名も並んでいるだけでなく、作家の名は知っていても作品は知らなかった日本の小説も紹介されている。
啓蒙書とは言ったけど、一般読者に対して啓蒙的だというだけでなく、日本文学の研究に携わっている者にとっても、未知の作品を知ることができるという点でも啓蒙的だ。

今までの業績が理論主体あるいは理論先行のものが多かったので、本書を贈られてすぐに中川さんの作品分析が読めると期待したけれど、その点では裏切られてしまった。
大好きな梅崎春生目取真俊「水滴」をすぐ読んでガッカリしたのも当たり前、1昨品につき新書で2ページほどでまとめるのだから、詳細な作品分析など期待した方が勘違いしていたわけだ。
ほとんどが粗筋を含む作品解説に止まっているので、何も単なる解説ならこの俊英の手を煩わせる必要は無いようなものの、読んでみれば分かるようにさすがに切れ味が異なっていて、他人には書けない独自の光るものが含まれている。
それは本書全体が「まえがき」に展開されている総論の下にまとめられているからであり、この「まえがき」はいつもの中川さんが出ていて晦渋な言い回しで伝わりにくかったり、説明不足な断言があったりする(殊に鄴〜鄽ページ)。
一般読者はこの「まえがき」に囚われずに、目次を見て興味を惹かれる作品を次々に拾い読みして行けばいいと思う。
ボクもこの伝で10項目くらい読んだけど、その中で一番タメになったのはアレクシェーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」だった。
このロシアの女性作家がノーベル賞を受賞したのは聞いていて、現在のロシアの悪政を彼女が暴いて行くテレビ番組を見てエライ作家だと感銘を受けたことがあるものの、読んだことは全くない。
中川さんはキチンと読んだ上でこの作品(インタビュー集)を紹介しているので、改めてこの作家のスゴサが分かった気がした。

ボクも個人的には戦争文学集をたくさんゲットしてあるのだけれど、退職したら読めるかと思ったもののそうは行かない状況が続いている。
目次を見るとボクの手許にある作品は70の半分にも満たないので、中川さんの守備範囲の広さには圧倒されるばかりだ。
だからこの半分以上を読んだ人がいたら、中川さんと同じくらい尊敬してしまいそうだ。

以上を記しながらETV特集「告白・満蒙開拓団の女たち」(再放送)というテレビ番組を見ていて、今まで伏せられていた「満蒙開拓団」の悲劇が明るみに出されているのを知って衝撃だった。
ある村の開拓団全体を中国人の襲撃から守るためにソ連兵の力を借りたのはいいものの、その代償に若い未婚女性たち(18才前後という)の身体の提供を求められたのだという。
具体的な証言をここに記すのはツライので省くけど、彼女たちは性病を移されたり・妊娠させられたり(中絶処置を受けたり)しながら帰国しても、日本で待っていたのは差別的な視線だったので帰国男性以外との結婚は困難だったという。
80歳過ぎたそれらの女性達が証言を始めたのをきっかけに、当時の悲しすぎる事実が明るみに出てきたのは、このような悲劇が繰り返されないためにも尊重しつつ次代に引き継いで行けということだろう。
日本人特有なのか否かは断言しかねるけれど、忘れっぽい性格は過ちをくり返しやすいので、貴重な体験は南京事件のみならず(百田尚樹を始めとする低能右翼たちのように)無かったことにせず次の世代に引き渡して行かなければなるまい。