ルネ・ジラール  作田啓一『ドストエフスキーの世界』補遺  大熊昭信

先日紹介した作田啓一のドスト論で気になったことを付し忘れたので・・・
「未成年」論に限らずジラールの理論が援用されていたので意外な思いがした。
ジラールが流行った時期の痕跡だろうと思っていたら、手許の『地下室の批評家』の「訳者あとがき」には織田年和氏が《訳文をめぐる問題点を指摘下された作田啓一先生に感謝したい。》とあった。
作田氏は人並み外れた語学力を具えていたらしく、ドスト論でも引用しながら訳し方にときどき異議を唱えているし、『欲望の現象学』から引用する時も原題の「ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実」の表題を使っている。
そういえばジラールを読み込むことも退職後の楽しみの1つだったナ〜。
ジラールをもっとも援用している文学研究者は大熊昭信さんかな、「文学人類学」とかいう用語を編み出したりしながら2冊の著書を贈ってくれたけど、自家のロフトに蔵ってあるので今は正確な紹介ができない。
クマさんは大昔、ボクが(学園闘争で留年して)学部3回目の1年生の頃だったかやっと2年生になった時だったか、小4から中3まで生徒が700名くらいいた大きな塾「川崎予備校」で知り合った。
都立大英文科の院生だったクマさんが中3の、ボクが中2の(3ランクの1番下のクラス)英語の教員だったけど、校長も含めて英語教員の中で一番発音が良かったのはボクだとは誰からもが認められていた。
中学生の頃に個人教師をしてもらっていた、田村義之先生(群大付属中の先生だけど、ボクは第二中学の生徒だった)の薫陶のお蔭だった。
その頃の第二中学校はまだ「不良」の勢いが残っていたものだったけれど、先日甥っ子と話していたら二中は五中と統廃合されるので廃校となっているとか。
話を戻して、川崎予備校では後に東大で朝鮮史の教授になった吉田光男が社会の教員をやっていたナ、アパートも隣り同士だったけど。
さらに話を戻して、ジラールも作田さんもおススメだヨ。