志賀直哉「網走まで」  高田知波

高田知波さんの講演をしていただけてハッピーそのものだった、ボクだけでなく参加者全員が。
とりわけヒッキー研究室の学部生たち10数名が、これだけ高水準のテクスト分析を啓蒙的に解説してもらえたのだから、幸福な船出につながるはずだ。
学部生も質問ができたのは上出来、この数時間で今後は不参加者より数段上のレベルで議論できるだろう。
テクスト分析のみならず、文学研究にあって根本的な前提を教えてもらえたのだから。


それにしても久しぶりにナマで聴く高田節は、その緻密な傍証探しと推理で圧倒されるばかり、名著を拝読する時の興奮を上回った。
少し上の上の先輩と紹介したのに、厳密に言えばボク等は博士課程進学では同期だと指摘された綿密さには驚いたナ(知らんかった!)。
ワクワクするような詳細は論文化されるまで言えないけれど、いずれ『〈名作〉の壁を超えて』(翰林書房)の第二弾として公刊してもらいたいものだ。
なにせこの伝で1000枚以上書き溜めてあるというのだから第三弾以下も続くことだろう、高田さんの衰えぬパワーには頭が下がるばかり。
己れのユルさ・イイカゲンさがハンセイされるものの、イイカゲンな人間はハンセイはしてもそれを生かすことができないのは知れたこと。
でもまた発表者が現れない間隙をぬって高田さんの講演を聴かせてもらいたいと願っている。


鉄男ではないボクには汽車の構造については不明だったのが、小林幸夫さんの卓論で教えてもらって助かったのだけれど、高田さんの講演によって「自分」と「女(母)」の位置取りがハッキリ分かってスッキリした。
高田さんは鉄男とも思えないのだけれど、当時の時刻表を持っていてそれを参照しながら推理して行くのだから、とてもマネのできない周到さ・緻密さで驚くばかり。
準備のために久しぶりに読み返したら、冒頭の1文からしてスゴク煮詰まった印象を持ったけれど、その点を高田さんが指摘してくれたので我が意を得た心地。
のみならずこの1文に、テクスト全体としては無意味な情報が含まれているという指摘には、強く刺激されたものだ。
例えば「暗夜行路」の冒頭部にも同様のことが指摘できるのではないか、というような問題だ。
誰が聴いても挑戦的だと思われるのは、「女」のハガキは宇都宮で投函されなければならないという分析で、蓼沼正美氏の論を真っ向から批判していたのでビックリした。
蓼沼さんの論は未読ながら、高田さんの説明だと蓼沼論の方がボクは納得しやすいので、高田さんに厳しく批判された思い。
その論理展開は活字になるのを待ってもらう外ないけれど、蛇足ながら蓼沼さんが男性であることが判明した、ちょうど多くの人が高田知波を女性と思い込んでしまうのと同じ思い込みが解けた次第。