【状況への失言】岩波から《文学》を消滅させた男=吉田裕

 (昨夜の記事)

 今夜はNHKBSで阪神の「伝説の3本連続ホームラン」などの特集をするようだけど、その前にETV特集で「昭和天皇御進講メモ」という番組を見始めたので、同時間で放映されるタイガースどころではなくなってしまった。戦時中の十数年間、裕仁に世界状況を講義した松田道一という人の厖大なメモが最近発見されたのを元に、当時の裕仁の質問と松田の解説を中心に再現ドラマに仕立てているのでとても面白い(以前にも似たような番組があったけど、それは元侍従長のものだった)。

 裕仁についての問題になると必ず登場する吉田裕(一橋大学名誉教授?)という歴史家がやはりすぐに出てきて見解を述べていたけれど、この名前を見るたびにもう一人の「吉田裕」という人が想起される。岩波書店の『文学』の編集長などを務めた人だけど、結論から先に言えば岩波から《文学》を死滅させた存在として忘れられない。最初に会ったのはボクが『文学』に画期的な「和解」(志賀直哉)論を載せてもらった頃だったと思う。当時の編集長・星野紘一郎さんと同行してきたのを、星野さんが編集委員として紹介してくれたのだ。吉田氏が「私は文学というより歴史の方でして~」と自ら付したのをよく覚えている。3人でいた時も黙っている姿しか記憶にないので、《文学》に関する発言は自制していたものと考えられる。

 

 先般シュン爺(山田俊治)の大著『〈書くこと〉の一九世紀明治』(岩波書店)を紹介したけれど、その時に「あとがき」の末尾に吉田裕の名前があったので「そういうことか」と思ったのを覚えている。

 《本書の出版では、岩波書店の吉田裕さんのお力添えにあずかった。吉田さんとは早稲田実業学校で出会い、雑誌「文学」などでお世話になったが、無理を承知でお引き受けいただいたことを心より感謝している。》

 これだけ読めば、大学院に在籍しつつ(?)将来を嘱望される人材を教壇に立てていた早大系の学校で、科目は違えど(国語と社会)同僚の教員として意識し合っていた様が浮かぶ。これに重なるものとして昔読んだ回想文で、竹森天雄と紅野敏郎という早稲田の両巨頭が若い頃に教育現場(これも早実だったのかな?)から図書館に向かって2人そろって足を向けた様子が描かれていたのを好もしく思い出す。ともあれシュン爺と吉田氏が若い頃に同じ教育現場で、それぞれ《文学》と《歴史》の研究にも励んでいたのがシュン爺の近著の機縁となったということだ。

 

 ボクの「和解」論が掲載された月刊『文学』は創刊当時からの(?)権威主義的な存在で、研究者でなければ読みそうもない堅苦しい専門的な論文ばかり掲載されていたものだ。ボクの「和解」論が私小説的研究にトドメを刺したように、それが載った『文学』は月刊という形を止めて大版の季刊誌となって学会誌という性格だったものが、まるで文芸誌と見まごうばかりのものに生まれ変わったのは星野紘一郎さんのお手柄だった。

 星野さんから吉田氏へ編集長が代ったのはいつからかは知らないけれど、ボクがきわめてすぐれた三島由紀夫「卵」論を『文学』編集部に掲載を推薦したものの、すぐに冷たく掲載できない手紙をもらって幻滅したのを忘れない。その時に思ったのは「やはりこの人は《文学》が分からないのだ」、《文学》のセンスがまったく無いということだった。初対面の時の印象は裏切らないもので、「私は文学ではなく歴史の方で~」という言葉がボクの胸底に残り続けていたのは間違いない。

 いま確認したら、自家には吉田氏が編集長になった以降の『文学』は1冊も無いのだけれど、この雑誌から《文学》が消滅してしまったからだと思うと納得しやすい。まさか紙面に《歴史》が前景化したとは言わないけれど、《文学》が排除されていったのは『文学』の廃刊という結果に明らかだ。何かで見かけた文章に、井上隆(たち?)が岩波本社で歴史中心の勉強会をしているというのを読んだ時も、やっぱり《歴史》なんだと思ったネ。それにしても《文学》のセンスが無い者同士が《歴史》に打ち込むのは自然な成り行きだ(井上に関しては、3年くらい前のやまなし文学賞受賞した時に、授賞した選考委員ともどもブログで非難したとおり)と思ったのはものだ。

 

 《文学》をめぐる吉田氏とボクの行き違いを判断してもらえる現物があるので、疑う人はそれを読んで判断してもらえばイイ。上記の「卵」論がそれだ。執筆者は当時の立教大院生だった築山尚美さん、ボクが彼女の異星人のような発想の仕方には生涯かなわないと感じさせられた《文学》の人だ。学大に赴任した年だったかに立教の大学院の非常勤講師としても呼ばれてビックリしたのは、ボク等の院生時代とはレベルが異なる高さだったネ(前にも書いたけど)。現在大学の教壇に立っている人に限って言えば新城郁夫(琉球大学)と城殿智行(大妻女子大)の両君がいたけれど、新城さんは川端の修論の一部を読ませてもらったら従来の川端論にはまったく見られなかった斬新な論にビックリしたし、城殿(きどの)さんは一段と若いのに最前線の文学理論を理解しつつ理論とテクストとの接点を模索しており、その意欲には圧倒されたものだ。

 ゼミ形式の授業で築山さんが三島の「卵」で発表するというので驚いたのは、新潮文庫『花ざかりの森・憂国』収録作品中もっとも目立たない作品であり、個人的には三島が何をマチガッてこんなくだらない小説を書いたのだ! と怒っていたものだからだ。作品の選び方もまさかだったけど、発表内容もまさかのハイレベルで「参りました!」で頭が上がらなかったネ。すぐに論文化するように勧めたと思うけど、いざ『文学』に推薦したら即つれないダメ出し。ダメなのはどっちだ! と言うばかり。『昭和文学研究』に投稿したらすぐに掲載されたのは当然でだったけど、詳しくは読んで味わってもらいたい。「卵」論としては間違いなく空前絶後、スゴいヨ!

 『昭和文学研究』第51集(2005・9)  築山尚美『卵』論

 

 長くなりすぎたのでこれで終りたいけど、吉田氏が必ずしも《早稲田》人脈を大事にしているわけでもなく、彼が重視しているのが(好みに合って出版しているのは)手堅い論者であって必ずしも《文学》に溢れている論ではないのは、《早稲田》系でも《文学》の面白さを味わわせてくれる例えば紅野謙介さんのような人の本は出していないことからも明らかだネ。

 裕仁の番組も終わったので阪神の方を途中から見ていたけど、それも終わったのでブログを記すのもここまで。