【読む】松村友視『鏡花文学の流域』

 読書の秋のせいもあってか、このところとても充実した著書を贈っていただくことが続いていてわが身の幸せを噛みしめている。チョッと前にもシュン爺(山田俊二さん)から大著『〈書くこと〉の一九世紀明治』(岩波書店)を頂戴したので、せめて序章なりとも読んでからブログに紹介しようと思いながらも果たせていない。明治文学についてはドシロウトなので序章を読むだけでも苦労したけれど、さらにそれを紹介するのもハードルが高いのでためらっている中に釣り部や旅行会が入ってしまい、未だに放置したままだ。

 そうこうしている中にシュン爺と同世代の優れものである松村友視さんから、専門の鏡花論の集大成本(論文10本)を贈っていただいた。インスクリプトからの出版で4200円+税というのは、鏡花研究史に永遠に残る質量を持った本としてはお買い得に違いないものの、こちらは鏡花を読み込んだ人でないとハードルが高すぎるので一般には勧められない。ボクもごたぶんに洩れぬ一般人なので猫に小判の心境だネ。目次を見ても作品名を含んだ論文が並んでいるので、そのほとんどを読んだことのないボクとしてはハードルを前に短い脚でたたずむしかない。そもそも鏡花の文章は実に読みにくいので、その作品の前ではたたずむ前に逃げ出しているのが常だからネ。

 生来鏡花が好きでなく最も苦手な作家だから、有策(山田)先生の3巻本でも鏡花論のものだけは未読のままであり、ヒグラシゼミでも鏡花研究のイー君(今藤)が鏡花について発表する時も、イヤイヤながら〈教育〉のためだと自分い言い聞かせて付き合っているヨ。松村本も目次を見て読んだ記憶がハッキリしている作品が見当たらないので、「泉鏡花と印度哲学の接点」というのを読んでみてから紹介しようと思ったものの、いきなり「瓔〇(王偏に「各」)品」という読み方も意味も分からない作品が現れてその論文が紹介される。吉田昌志という親しい名前も出てくるものの、鏡花論者として著名な人だから論文も読む機会がないままの研究者だ。

 松村さんの大著を開きながらも門前払いを食った気分で、とりあえずは書名だけでもブログに記しておいて拝読するのは将来に期すことにした。聞き覚えのある作品から始めることになると思うものの、時間を要すると思うのでさらなる加齢で余裕ができた時になるだろうけど、その時にボケが進行し過ぎてないことを祈るのみ。

 

@ 松村さんの6年前の著書『近代文学の認識風景』(インパクト、5000円+税)の方は、鏡花論は3本のみで後は鴎外論3本と賢治論2本はじめ全14本は、今回の鏡花論とは異なり比較的近づきやすく以前ブログでも紹介してある。そちらを参照しつつ読んでみることをおススメするネ。