【状況への失言】原爆投下と慰安婦像  見たくない過去語ろう  藤原帰一

これまた表題を見て、「またか、この前も読んだヨ」という反応があるだろうけど、これまたボクの付した題じゃないのだナ。『朝日新聞』8月21日の、藤原帰一さんの連載エッセイ「時事小言」の題なんだネ。藤原さんは東大の国際政治学者で心底から信頼できる人だけど、こうまで同じことを書いてくれると心強いばかりでなく、とっても嬉しかったネ。

藤原さんは政治学者にしては柔らか頭の人で、こうの史代(立大院の授業で取り上げてくれた院生のお蔭でボクも知ってる漫画家)の原作アニメ「この世界の片隅に」を再見した印象を語りながら、次のように論じている。

 

《1995年、スミソニアン航空宇宙博物館の企画した原爆投下の展覧会がアメリカ国内の反発を受けて中止に追い込まれ、原爆を投下したエノラ・ゲイが展示されるにとどまった。ここには「見たくない過去」としての原爆投下を排除する態度がある。

 原爆投下を「見たくない過去」とするアメリカ人がいるように、慰安婦を「見たくない過去」とする日本国民がいるのだろう。だが、原爆投下への批判がアメリカ国民への侮辱ではないように、慰安婦を語ることを日本国民への侮辱だと考える必要もない。》

 

アメリカにおける原爆展の企画が妨害された細かい経過を補足してもらった感じだけど、エノラ・ゲイとはアメリカ人のゲイではなくてヒロシマに原爆投下した飛行機の名だヨ。トランプとその支持者に通じる「見たくない過去」を封じたがるアメリカ人と同じレベルの、安倍政権を支持する日本のネトウヨの狭量さ(ケツの穴の小ささ)には強い危機感を持っているヨ。ムン大統領を始めとする現在の韓国人の、日本に対するコンプレックス(劣等感)は日本人に支配された屈辱に由来するのだろうけど、関東大震災の際に民間人が朝鮮人虐殺に奔(はし)ったのは、武力におけるコンプレックス(優越感)によるのだろうナ、日本人として情けないけど。

デマに振り回されたとはいえ、普通の日本人が多くの朝鮮人を殺し回ったとは信じがたいけれど、トリエンナーレを中止に追い込んだ河村たかし市長やネトウヨの言動を見てると、同じテロがくり返されているものと感じられて危機感を抱くのだナ。彼らは「見たくない過去」に向き合うのを拒絶するために、「見せよう」とする人たちを暴力的に抑え込もうとするのだナ。頭も悪く・心も狭い連中を改心させるのは無理だろうから、それだけ怖い存在なのだけれど、どうしようもないと諦めてしまうのも危険だネ。諦めずに、「見たくない過去」に向き合うことこそが、ガキからオトナに成長することだと彼らにアピールし続けなくてはネ。