自著『太宰・安吾に檀・三島 シドクⅡ』の出版にともなう種々の「行事」に追われていて、学大の学長選挙の「その後」に言及できなかったのは申し訳ない限り。まだ身辺落ち着かないけれど、取りあえずの学大の危機的状況をお伝えしておかなければならないと思うので、取り急ぎ。
わが東京学芸大学の学長選挙が、多数の教員の支持を得た大石学さんではなく、教員の支持が少ないのに事務員の票数が多少上回ったというだけで、批判されていた前執行部を引き回していた國分某が、学長の座にしがみ付いた結果に終わったと聞いた。まことに理解しがたい結論を出した学長選考委員会は、「説明責任」を果たさず沈黙を守り続けているとのこと。無名でもある國分某の人格の魅力無さを考えても、学大の評価・評判はますます落ちて行くことになるのは明らかだ。NHKの大河ドラマの時代考証を担当したり、最近は「英雄たちの選択」をはじめ多くの歴史番組で、切れ味のある発言で知られる大石さんの著名度や高潔かつお茶目な人柄を考慮すれば、実力のある研究者が学長を務める大学として、学大が受験性とその保護者を引き寄せるのは確実だったろうに。不透明なプロセスで学長を決めてしまった学大は、大学としての評価・評判を落とす道を選んでしまったわけであり、学長選考委員会の責任は重い。
國分某が頼りにならない・希望が持てないと多くの教員が判断したのは、教授会における旧執行部に対する批判に対しても無能さを暴露するだけだったためだとすれば、執行部の無能さが伝わらなかった事務員の支持を得たとしても、学大の未来は誰が見ても暗いと言うほかない。國分某の人間が信頼の置けないとが判断できるためには、教授会などの決定機関に事務員なり学生が参加させなければならないのは明らか。それなくして旧執行部の無能ぶりをくり返す、國分某を学長として認める不快と絶望からの脱出はありえない! 事務員の大学運営への参加は新味がないかもしれないながら、学生の参加はむかし一橋大だったかが認めたらすぐに文科省(当時)が頭ごなしに否定したことが思い合わされる。事務員よりも教員の実態を知る学生の投票権があれば、学大も國分某のようなダメ人間が学長の座に納まる不名誉をこうむることもなかっただろうに、無念きわまりない! 人選を透明にするためにも、事務員と学生の大学運営への参加を認めなければ、学大の未来はない!!!!!!!