授業(教員)評価の是非  学生の意識も問われている!

法政大学から授業アンケートの結果報告が届いた。
教員と学生との関係は非対称の関係(教員が一方的に有利)だから、授業アンケートが始まった時は大賛成だった。
長年の間この非対称な関係にアグラをかいて平然としていたベテラン教員からは毛嫌いされていたのは当然ながら、それではいつまで経っても教員が相対化される機会がない、したがって授業の改善も学生に対する教員の閉鎖性も改革される可能性は無い。
ベテラン教員たちの反対にも拘らず、この制度がどこの大学でも定着しているのは歓迎すべきことであって、廃止などあってはならないことだ。
ボクが在職中に学生に頼んだのは、5段階とかの数字の評価だけでなく、文章で具体的にプラス・マイナスを表現してくれるように、ということ(どの大学のアンケート用紙でも、その種の欄があるはず)。
その方がマイナス点を改善する場合、具体的に対処・改善することができるからだ。
プラス点の方はアンケートが始まる前から、テスト用紙やレポートの最後に「他の先生からは得られないことを教えてもらえた」という類の一筆が添えられたことは少なくなかった。
しかしマイナス点を書いたら成績に悪影響があると考えて書けないだろうから、匿名のアンケートが行われるようになったのは大歓迎だった。
一番印象に残っている意見としては忘れられないのは、大東文化大学(学部)で「学生の背後で講義するなど考えられない」という不満だった。
ボクは講義の際に教卓から動かずにしゃべり続けるマンネリを避け、定時制高校の頃から机間巡視しながら講義するのが常だった。
特に定時制では、昼間の労働の疲れから眠くなりがちなので、教室内で動き回りながらそれそぞれの生徒との距離を近づけつつ、無言でも励ましているつもりだった。
大学の授業でもこの方式を貫いて眠っている学生を目覚めさせ、非常勤先でも必ず教室内を動き回りながら、個々の学生との距離を埋めつつ講義し続けたものだ。
だから時々は受講生の背後からボクの声がするということになるのだけれど、それを不愉快に思う学生がいても不思議はない。
ただ不愉快に思う理由には2通りあり、授業に集中せずに他のことをやりたい学生にとっては教員が近づくのは邪魔なだけであるし、放っておいても集中している学生からすれば邪魔臭い気がするかもしれない。
他の授業のように教卓からの声に集中しながら受講しているのに、時折背後から講義の声が聞こえるのは慣れないし不快かもしれない。
アンケートの記述は匿名なので、以上のどちらとも決めかねるからその後も机間巡視を止めなかったものの、意欲的な学生が記したものだとすると申し訳ない気が拭えなかったので、未だに覚えている授業感想なのだ。
反対に授業に対する意欲に欠ける学生にとっては、学習以外をやりたいのにチェックされている気がするので、机間巡視は効果的なのでおススメしている。
アンケートの問題点はこの種の意欲の無い学生の反応であり、授業以外のことをやりたいという自分の都合で感情で評価を記すから、評価の結果の信頼度が減じる場合が出てしまう。
分母(受講生)が多数なら結果が左右される可能性は小さいだろうが、分母が小さいと結果の信頼度が減じるのは避けられない。
学大では演習や院の授業で受講生が少ない場合は、アンケートをしないという選択肢があったものの、法政大ではその縛りが弱いのでボクは実施した次第。
結果はよくあるパターンで、5段階の例えで言えば4か5が全部ながら、今回は1というのがあって苦笑してしまった。
ボクは学芸大在職中から院の評価でも手厳しく付けていたので、敬遠した留学生も少なくなかったのは確か。
受講生がすくないと(10数名)、法政大のように院生の学年まで記して(入力して)評価すると、アンケートに応えた学生が特定しやすくなってしまう。
教員と学生の非対称な関係を相対化するためには素晴らしい授業アンケートながら、主旨が理解できないで己の感情を数値化するおバカさんがいると、せっかくのアンケートの意義が薄れてしまうので、学生に対してアンケートに臨む意識を問いつつも、当局は受講生の少ない場合にはアンケートを避けることも検討すべきだと付しておきたい。