【『太宰・安吾に檀・三島』より】檀一雄「火宅の人」論  檀ふみ

 目先を変えて檀一雄に切り換えましょう。後書きにも記したように、実は自信作。太宰の論者はたくさんいるものの、檀一雄は論じられることが極めて少ないのが現状。檀の文学のレベルが低いのなら仕方ないけれど、ボクにはそうは思えない。初期の作品は手強いから後回しにして、まずは映画化されて(緒方拳・松坂慶子)評判になった「火宅の人」論。エンターテイメント小説のように受け取られていた作品ながらも、キチンと論じることができることを証明した論。作品を読まなくても、「言葉の芸術」が理解できる人には通じるはずながら、檀一雄には馴染みがないせいかスルーされやすいようだ。信頼する研究者から「殊のほか面白かった」という意の感想をいただいた時には、〈伝わった感〉が味わえてとても幸せだったネ。

 論文が面白く読めたら、きっと作品も読みたくなるという模範的な論文と言えるかな。インテリっぽい檀ふみさんなら〈伝わる〉ことを期待して事務所に送ったけれど、残念ながら音沙汰なし。父親がエライ小説家だという誇りを持ってもらえればと思ったのだけど、「ワンランク上の読書」(本の帯の言葉)は無理だったようだ。娘だけに私小説として読んでしまうのだろネ。作者と切り離しても、言葉だけで十分読める作品であることを証明して見せたのだけどな。

 

 

 

「火宅」シドク――〈泳ぐ〉人々

 

      

〈泳ぐ〉人

 

 「火宅の人」(昭36~50)は話題の中心のように見える、愛人の恵子との問題から始まるわけではない。あくまでも印象深い障害児・次郎の病状から語り起されているのである。物語は次郎で始まりその死で終わるのであり、本稿はその意味を明かそうとする。

 

 檀一雄の初期「夕張胡亭塾景観」(昭10)の登場人物を「〈断崖〉からの跳躍」という観点で論じたが(本書収録)、そこでも予断的に付したように、檀一雄文学の集大成たる「火宅の人」も「飛び込み」「墜落」する人から始まっている。

 

「第三のコース、桂次郎君。あ、飛び込みました、飛び込みました」

 これは私が庭先をよぎりながら、次郎の病室の前を通る度に、その窓からのぞきこんで、必ず大声でわめく、たった一つの、私の次郎に対する挨拶なのである。

 こんな時、次郎は大抵、マットレスの蒲団の上から、ずり落ちてしまっている。炎天の砂の上にひぼしになった蛙そっくりの手足を、異様な形でくねらせながら、畳にうつ伏せになっていたり、裁縫台の下に足をつっ込んでいたり、しかし、私の大声を聴くと、瞬間、蒼白な顔のまん中に、クッキリとした喜悦の色を波立たせて、「ククーン」と世にも不思議な笑い声を上げるのである。(略)

 この「次郎微笑」は、人間と云ういきものの微笑には余り似ていないかも知れぬ。(略)

 大抵の場合、次郎はマットレスの上から墜落してしまっている。  (「微笑」、章の題。以下同)

 

冒頭からして「次郎微笑」が強調されているものの、「微笑」はこの章に限ってもテクスト全体の中にあっても印象は薄い。むしろ「火宅の人」は冒頭部分に提示されている〈飛び込む〉、そして〈泳ぐ〉イメージの方が強い喚起力で訴えてくる。〈飛び込む〉人は後回しにするとして、〈泳ぐ〉人こそが頻出しつつテクストを貫いていると言えよう。「微笑」においても主人公・桂の「おーい、泳ぎに行くぞ」の一声で、次郎に負けじと他の子供達が名栗川に泳ぎに出かけて行くが、ほとんど〈泳がぬ〉(注)人もここで登場している。「いいえ、アタシは……」と拒む、妻のヨリ子である。

 

 沈着なのである。重厚なのである。/現代女性に共通な浮薄の虚栄などどこにもない。 (同前)

あまり人との団欒を喜ばない性質のようである。或は感情の表出を厭う性分か。      (同前)

 

 桂とはまるで正反対の人間像であり、それが〈泳がぬ〉人として表象されているのがテクストの妙である。〈泳がぬ〉人との対照であぶり出されてくるのが、〈泳ぐ〉人である桂とその系譜である。《夏の時期になってくると、私はどうしても、泳がなければ気がすまない性分》(「野鴨」)だと言う桂は実によく〈泳ぐ〉人であり、戦時中も中国大陸で種々の危険を冒してまで泳ぎをくり返し、周囲を呆れさせている。この《長年の私の習性》(同)のまま、恵子とも高麗川や湯河原へ出かけ、また暇さえあれば意にそまぬホテルのプールでも〈泳ぐ〉衝動を満たしている。《むろん、彼女も泳ぐことは大好きだ。》(同)とくれば、桂をめぐる両極の二人の女性が〈泳ぐ〉〈泳がぬ〉で対比されているのは明らかであろう。

 

     灼かれる人

 

《私と、一郎と云う、無軌道な親子二人》(「微笑」)としてくくられる一郎も、紛れもなく〈泳ぐ〉人である。学校に行かずに出奔して鎌倉で盗難事件を起こした一郎は、警察に引き取りに出かけた両親を前に呑気な言葉をくり返す。

 

「泳げばよかったね、チチー」

  「オレ絶対行くよ。泳ぐよ」                     (ともに「火宅」の章)

 

 〈泳ぐ〉人とは何か、「灼かれる人」の章でその根源の衝動の言語化が模索されている。「わが野生児」と名指される一郎を中心化しつつ、桂の血脈が「灼かれる人」として形象化されている重要な章段である。

 

 この息子の心身にも、まぎれもない青春の業火が点火したのである。業火であるか、聖火であるか、収束の行方はしばらく問うところではないが、その来源は今見る一郎の肉体が、さながらかもし出している熾烈な生命の本能だ。(傍点引用者、以下同)

 

 出来得れば、少年の門出の日から剛毅におのれの心身のバランスを統制出来るに越したことはない。そうしてその吹きつのってくる過剰な活力を、人間の調和的な生存の幸福の側にねじむけ得る人は仕合せだ。私達はその人達を、羨み、尊ぶが、しかし、私の血は別様に燃えたのだ。私の頭が制御のブレーキを踏む時に、私の足は前のめりした。

 また、こうも考えてみたことがある。私から一郎につながる妄動の性癖は、ひょっとしたら、私達の並はずれた健康の過剰によるものではなかろうか。人は笑うだろう。その心身のアンバランスこそ、不健全の最たるものだと。私もまたそう信じて、自分の中に跳梁するさまざまの官能と浮動心を呪いつづけながら生きてきたようなものだ。それは、ほとんど私の心身を八つ裂きにするように私自身を駆りたてて、逸脱へ、逸脱へと、追い上げるのである。

 その恐怖に怯える日に、時には、呪文のように、よし、己の天然の旅情にだけは忠実であれと、つぶやいたこともある。

 

 「熾烈な生命の本能、過剰な活力、妄動の性癖、天然の旅情」と並べてみれば、破天荒な桂の生き方がいちいち納得できようというもの、付言すべき言葉もない。この「過剰な活力」に満ちた「生命の本能」が「妄動」して、桂とその息子達を〈飛び込〉ませ〈泳〉がせるわけである。〈泳ぐ〉人の血統は何と親子に止まるわけではない。引用は一段落はさんで次のように続くからである。

 

 考えてみると、私の祖父は、八十を過ぎる頃まで、毎朝裏の濠の中で、水浴を繰り返していたではないか。祖母達から、同室にいるのも毛嫌いされながら、それでも屈託なく、晴天の日は毎朝、自分の蒲団は自分で乾し、自分の蒲団は自分で敷いていた。

 

 「水浴」を広義にとれば、祖父にまで遡ることの出来る〈泳ぐ〉人達の「熾烈な生命の本能」こそが根幹となっているのであって、桂の奔放な〈性〉の遍歴はその現れの一つでしかない。〈性〉の氾濫ばかりに目を奪われると、本作の評価を見誤ることになる。「火宅の人」は〈性〉を描くことが目差されているわけではないからである。〈性〉ではなく〈生〉で読むべきテクストであり、桂の一族を貫流する〈生〉のエネルギーの表象としての次郎が、冒頭に形象化されているのである。テクストの流れからすれば桂も恵子も、そして一郎も祖父も全て次郎のヴァリエーションということになる。そう読めば、祖父の「淋し」さを理解する端緒をつかめるであろう。右の引用の続き。

 

 九十何歳かで大往生を遂げたけれども、その死の間近いころ、たった一度、深夜私を枕頭に呼び、

「淋しか――。一雄、淋しか――」

 私の手を、自分の胸にひきよせて、オイオイと泣いたことがある。

 

 「過剰」な〈生〉の力が、心的な充溢を伴うことなく「前のめり」に「妄動」し続け、「過剰」さがかえって内部に虚無を胚胎して「淋し」さを感じさせるというメカニズムなのであろう。桂が時折「孤独」や「鬱」を口にするのもそのためである。しじゅう酒を手離せないのも、それが「孤独」や「鬱」を散じるための一つの方便なのであろう。

 

   私は麻雀(マージャン)をやらず、碁、将棋、ゴルフ、釣りなど何の興味もない。ただ手料理をつくり、ただ酒を飲み、ただ原稿を書いているだけで、私の万般の料理は、私の消閑とリクリエーションに大きな関係があるわけで、梅干の梅を大筵に乾したり取込んだり、沢庵の大根を物干の屋上に乾したり取込んだり、こんなことを始終やらかしていないと、私の鬱が昂じてくる。  (「我が枕」)

 

手ずからの料理作りにいそしまずにはいられない桂の衝動は、子供の頃から煮炊きをしていた〈生〉のストレートな発露であろう。ともあれ父系のみならず、桂の母も「至極達者」(「灼かれる人」)で《今でも矢鱈にとめどなく遠い旅へ出たがるようだ。》(同)とあるが、桂もテクストの後半からは「天然の旅情」に駆られて海外へと「逸脱」し、菅野もと子というもう一人の〈泳ぐ〉女と〈生〉を消尽することになる。

 

    〈影〉としての太宰治

 

桂とは異なり「蒲柳の質」(同)である太宰治が、桂の〈影〉であるかのようにしばしばテクストに顔を出す。思えば恵子との関係を進めたきっかけは、太宰の文学碑の除幕式が選ばれていた。

 

私は何となく石碑の後ろのベンチのあたりに、腰をおろした当の太宰治の姿が目に見えてくるような心地がした。左手に毛蟹を手摑みにし、ムシャムシャと喰らいながら、右手にコップをあげて地酒をあおっているのである。

私は咄嗟にその太宰の側に歩きよっていって、恵子のことを事細かにしゃべってみたくなってきた。 というよりも、私の年久しい惑いの心をそれとなく打明けてみたくなってきた。    (「微笑」)

 

   が、私はそのドシャ降りの雨を浴びながら、したたかコップの酒をあおっている。私の一家がどうなるか、恵子の生涯がどうなるか、これからのことはもう見透せないが、私は今日を限り、自分の解放をはかる覚悟である。思うさま驟雨を浴びて、束の間の人間のあわれなすぎわいの為に盃を乾すのである。                                      (同)

 

桂は女性との事件を重ねた太宰をなぞりつつ、恵子との距離を一挙に埋めていく。雨中の式典が一段落した後の桂はあたかも水浴する人のようであり、見透しのきかない未来に向かって〈飛び込む〉「覚悟」をした人となっている。しかし太宰が玉川上水に飛び込んで流されるままに果てたのに対し、桂は太宰の女性遍歴をスプリングボードにして恵子に向けて「跳躍」し、〈生〉の力のまま恵子と二人で〈泳〉ぎ続けたと言えよう。

〈泳ぐ〉人である桂と恵子は、〈飛び込〉み〈泳ぐ〉人の原型たる次郎を意識せぬまま模倣しているようでもある。

 

愛撫の度に、補助椅子ソファの継ぎ目にはさまりこんでみたり、彼女の寝乱れる毛髪の方から次第に逆落しになってみたり、結局二人共絨毯の上に裸のままずり落ちていって、苦笑になり、呻吟になり、はかない男女の悦楽は終わるのだが、それはまたそれなりの、あわれさとおかしさに結びつくのである。

 

「火宅」の章に語られる二人の様態が、作品冒頭に現れた次郎の安逸の場たるべき布団から「ずり落ち」た姿に重なって見えてくるであろう。市民社会の平穏な生活に安住することなく、布団から「ずり落ち」たり「逆落し」になったりするのは、彼らが皆〈飛び込む〉〈泳ぐ〉人だからである。そう見ると桂が恵子と事を起こしたのが、次郎発病の一年後の同月同日だったというのも偶然ではなかったということであろう。夏の暑い盛りの日にこそ〈泳ぐ〉人達の〈生〉のエネルギーは燃焼し「妄動」するのである。テクストの冒頭近くで桂自身が符合を確かめているように、次郎発病の一年前のほぼ同じ日には、桂は一郎を連れて奥秩父に執筆がてら〈泳ぐ〉ために出かけ、落石事故に合っている。突発的な出来事ではあるが、過剰な〈生〉の力のまま「妄動」する者が危険にさらされるのは見やすい。時には自ら死の危険を冒すような「妄動」に駆られることにもなる。テクスト後半でくり返される、恵子にまつわる嫉妬に囚われてニューヨークの安ホテルの七階から〈飛び込〉もうとする衝動がそれである。

 

ベッドの中から脱兎のように跳ねあがり、北の窓を押しあげて、思うさまに戸外の凛烈の風を浴びる。そこから真っ逆さま、飛び降り自殺の真似事を二度三度くりかえした揚句、またウイスキーのがぶ飲みになるのがきまりである。                         (「蠟涙」)

 

〈生〉のエネルギーが微弱な者が〈死〉に近づくことによって〈生〉を活性化させようとする、という心理のメカニズムでは全くない。〈生〉の「過剰」が意のままに奔出するのを妨げられた時、自らを滅ぼすことによって「過剰」なエネルギーを収束させようとする「妄動」以外のものではない。

 

    夏は終った

 

むろん桂は死なずに恵子以外の女との「妄動」を続けるが、最後の四つの章でテクストは急ぎ足に収束を迎える。「わが祭り」で桂自身は病で倒れ、追い打ちのように病室で恵子から別れを告げられる。続く「きぬぎぬ」の章では実吉徳子との「訣別」を自認しつつ、《夏は終った》という感慨に耽る。未練のように徳子との思い出の地に子供と〈泳〉ぎに行った多摩川では、一年前に徳子の同僚であるレイ子が泳げないのに川の中に〈飛び込〉んで溺死した事件が思い起こされる。

 〈飛び込〉んだり〈泳〉いだりする「夏」が確かに終ろうとしている。恵子からは二人の事の起こりとなったメモ用紙と共に、ヒビ割れの入った古靴を返されて関係が終息する。明示的なメモ用紙は理解可能ながら、それが付された古靴が暗示するものは何なのであろうか? 恵子の意識には無かったと思われるが、〈泳ぐ〉のを止めて大地の上を着実に〈歩く〉ことを自他に向けて発信したようにも見えてくる。

 恵子との「訣別」に続いて「骨」の章で次郎に死が訪れる。〈泳ぐ〉人々の物語はここで完結するわけであるが、エピローグとしてその後の桂の様子が「キリギリス」で語られ、テクストは閉じられる。神楽坂の連れ込みホテルの五階で独り暮らしを決めこんだ桂の感慨は、《何ものにも捉われるな! 今からこそ充実し生命(いのち)の誘導と点火。自分自身の思う存分の自我道?/アハハ、夏は終った。》というものである。

 〈夏は終った〉ことを改めて確認せざるをえないのであって、次郎や恵子を失った今や「生命の誘導と点火」などありえない。それが言葉の上だけの単なる強がりでしかないことは、桂本人が痛いほど分かっているはずである。気力も体力も失せた桂の部屋は、「生命」力のみなぎるゴキブリが「大繁殖」するにまかせざるをえない。〈生〉が衰弱した桂はもはや〈泳ぐ〉こともなく、狭い浴槽につかるだけである。正確に言えば湯につかるだけでなく、浴槽の蓋に乗って辺りの景観を楽しむ(?)こともある。それを「壮大なパノラマ」と呼んでみるのも負け惜しみの心理であろうが、桂は既に五階の自室から〈飛び込む〉こともなく、《人々の侘しい集散と通行の姿を見下ろす》だけである。〈泳ぐ〉でもなく〈飛び込む〉でもなく、唯一の手荷物である古靴の処分を決断しかねながら、ただ〈眺める〉人に変貌した桂は、「まことに夏は終った」とくり返すのみである。《なーんだ! オレ、ヒトリボッチ!》という「孤影悄然」たる情況を認めざるをえなくなり、テクストは「雪」を含む一文で結ばれる。

 

私は、ゴキブリの這い廻る部屋の中で、ウイスキーを飲み乾しながら、白い稲妻と一緒に酔い痴れの妄想を拡げているが、次第にサラサラと自分の周りに粉雪でも降り積んでくるような心地になった。

 

 

(注) 内向的なヨリ子が例外的に「アタシも泳いでみようか知ら」と言う場面があるが(「野鴨」)、この時はヨリ子が他の子供を連れて次郎のいる〈家〉から離れ、千葉の海で心身共に解放感に浸ることができているからであろう。