【読む】『青銅』第五十集、刊行記念号  坂本有佳の文章

 『青銅』に掲載された坂本有佳の原稿も届いたので、コピペしておきます。

 

  繋がっていること、繋がっていくこと

                   平成二十一年度卒業生 坂本 有佳

 

 大学を卒業し、昭和文学ゼミのOGとなってから、早いもので十年経つ。

この十年、『青銅』は着実に学生たちの文学研究の歴史を作って来たのだと思うが、私はといえば紆余曲折、うまくいかないことの方が多かった。小学校教員として数年働いて挫折、今は塾講師として働き、もう随分前から挫折している。私はどうにも教育には向かない性質で、就職してからずっと辞めたい逃げたいと言って過ごしているのに、なぜまだ教職に就いているのだろう。教職以外の転職先は経験を武器にできないから不利……というリアルな理由は一旦置いておくとして、なんだかんだこれまで続けてきてしまったのは、「書くこと」「読んでもらうこと」、そして「国語を教えること」が私を保たせてしまったからではないかと考える。

 最近は本もめっきり読まなくなってしまったし、文学研究なんてさらに縁遠い。

噓でも嘘でもどっちだっていい、「うそ」と読めるのだから。「!」や「?」の後にスペースなんて空けない、普通続けて書くでしょう。そういう世界にいる。

私はそれでもこっそり「噓」と書き、「!」の後にスペースを空ける。そうやって、大学時代の自分が今の私に繋がっていることを確かめている。

 

私はかなり忘れっぽく、去年受け持った生徒の名前も卒業すれば大体忘れてしまう。そんな私が十年前の大学時代の思い出を詳細に語ることは不可能。それなのにこの原稿を引き受けてしまってごめんなさい。お声を掛けていただけてすごく嬉しくて、つい出来心で……。

ただ、そんな私でも、確実に言えることがある。大学時代、昭和文学ゼミの一員として過ごした日々はとびきり楽しかった。あの頃関谷先生や諸先輩方、友達や後輩との会話やゼミ発表を通して経験したことが、ふと今の生活の中で思い出されると、たまらなく嬉しい。このことだけは、これからもずっと伝えられる自信がある。

 

先述の通り、今私は塾講師をしていて、小中学生たちに国語を教えている。受験国語は情報をいかに正確に読み取り整理できるかにかかっていて、テクニックを上手に使えるようになると楽しい。しかしそれは私が昭和文学ゼミで出会った数々の読みの楽しさとは比べ物にならない。君たちは、今は模試や入試ありきのこれが国語だと思っているかもしれないけれど、読むことってもっと自由で感動的なんだよ。そう伝えたくて時々大学時代の話をする。草野心平の詩は受験国語でもよく使われるので、解説の時間に余裕があれば、「冬眠」や「春殖」などの受験には出ないだろう詩を紹介して、あれこれ想像させてみたりする。

生徒たちには、どうか受験国語にうんざりしないで、読むことの楽しさにどこかで気付いてほしい。そして、ひとつの短編を何度も読み返してレジュメを打っては消して、いつのまにか深夜で、翌朝にはゼミ員分の冊子印刷をしなくてはいけなくて、だんだんこう結び付けたら面白くなるんじゃないかとわくわくしてきて、キーボードを打つ勢いが増して、外が明るくなった頃に書き上げた達成感に包まれて、無事出力したもののゼミ本番では自分の深夜テンションが現れた文章がびっくりするくらい恥ずかしくて赤面する、そんな経験をしてみてほしいと思う。それはすごく貴重で、楽しい思い出になるから。

 

いくつかの赤面のゼミ発表を越え、初めて自分の文章が載った『青銅』を手にした時の感動は大きかった。これからも『青銅』の歴史が連綿と続き、ますます盛り上がっていくことを心から祈っている。