【読む】千田洋幸さんの近刊書(その2)  田嶋陽子の低能・下劣さ

 むかし複数回読んだ2つの論はスルーして、発表時に1度だけ読んでよく分からなかった太宰の「千代女」論を再読したところ、少しは理解が進んだ気になった。というのも千田さんお得意の(上記の2つの論もそうだけど)ジェンダー理論がまさかの(ボクも守備範囲にしている)太宰のテクストに応用されているので、ショックが強かったからかもネ。というのも太宰作品の中でも評価の高い「女語り」についての新旧の論を、千田さんはメッタ切りにしていくので付いて行くのがタイヘンなのだネ。

 出だしからして東郷克美さんの論が、《男性=観念・論理・理性/女性=肉体・生理・感性という二項対立にもとづいた、ステレオタイプな読解》として否定されると、東郷さんの太宰論に導かれて太宰研究を始めた身には、自分までダメ出しされた気になるからネ。太宰論者の木村小夜さんや未知の荒木美帆さん等、女性の論者も軽くあしらわれているのはチョッと小気味良い感じだ。というのも田嶋陽子の「雪国」論を最悪の例として、当時はフェミニズムジェンダー論に勢いを得た女性研究者が恣意的な論を量産していたために、ジェンダー応用系の論が信用を失っていたのだネ。だから女性特有の被害者意識から免れている千田さんの論に出会ったら、理論とテクストがしなやかに接合されていて、その頭脳明晰な行論に説得力を感じたものだヨ。

 勢いだけで低能な田嶋陽子は別格としても、当時は女性研究者の中でもレベルの低い連中がヒンシュクを買っていたものだ。田嶋がその典型だけれど、歴史的に抑圧されていた女性を「解放」するために男女の立場を転倒しただけの論理を、声高に叫んでいたものだ(昔のブログに具体例を記した記憶がある)。そんな状況だからフェミニズムジェンダーの理論そのものが信用を失いそうなところを、千田さんの価値ある論文が救ったと言っても良いだろう。

 

 「千代女」論に話を戻そう。「千代女」から《ほとんど居直りにちかい発言を行っているのだが、(略)「女語り」に内在するかにみえる反動性が、むしろ作者の意志の範疇にあったことを語っている。》と太宰の意志まで読んで批判されると、あまりに画期的な観点なのでボクなどオドオドしてしまうのだけど、読んでいくと納得させられてしまうのだからスゴイ! その手際は自分で確かめてもらうことにして、漱石「門」や鷗外「雁」でも同様な画期的な分析がなされていることも付しておこう。

 (と、続けようと思ったら、またメドにしている1000字を超えてしまったので、続きは改めて第3回で。)