【読む】千田洋幸さんの本(その3)  「三四郎」・「雁」論  浅野智彦  斎藤一久

 実はジェンダー論と見えた「千代女」論は、Ⅲ章のジェンダー論ではなくてⅠ章の語り論に分類されているのだけれど、「三四郎」論と「雁」論は語りがテーマで読ませる。「雁」は本書でもっとも古いもので、1990年の『立教大学日本文学』に掲載されている。この紀要は全国の数ある紀要の中でもレベルの高い研究誌だけど、千田さんの「雁」もそれを裏付けている。その昔、ボクの師匠の故・三好行雄が鷗外に打ち込んでいた頃だったので、ボク等は学部でも大学院でも演習は鷗外をやらされてウンザリしていたものだけれど、この「雁」論こそその頃に読みたかったネ。「僕」の語りと全知の語りとを手際よく整理してもらえてサッパリしたヨ。

 「三四郎」論は《宗助の過去と、宗助自身がみずから構築している記憶とは、基本的に区別されなければならない》という鋭い区分けの観点から、従来にない面白さで読ませる。画期的な漱石論である服部徹也『はじまりの漱石』はまだ読了には遠いけれど、漱石研究が停滞している現在では各作品論は読めない中ながら、千田さんの論(2004年発表)は十分に楽しめたのだからスゴイ。

 記憶に関しては、片桐雅隆・浅野智彦という社会学者の論がヒントになっているようだけど、『自己への物語的接近――家族療法から社会学へ』の著者である浅野さんは学大の同僚で(未読ながら)こんなに面白いことを書いている人とは思わなかったネ。教授会では真っ当なことを言っていたのを覚えていたのは、学大の社会科には在職当時ブログで批判した上野和彦や藤井健志のような、権力の野望に取り憑かれた典型的な政治ゴロ(政治的俗物)も暗躍していていてイメージが悪かったけど、社会科にも浅野さんや大石学さん(現在の國分ニセ学長・國分充のために学長の座に就けなかった人)などの清潔な人もいたのは救いだったネ。

 そう言えばボクが国語科のセクハラ男・クレイ爺の犯罪を追及していたのに、ヤツを見逃そうとしていた当時の村松泰子学長・執行部まで相手に闘っていた時、頼まれもしないのに(というところがオモシロい)ボクを支えて斎藤一久さんも法学だから社会科だったナ。執行部批判をやり続けたボクに対して村松が、処分(減給1日分)を言い渡すという時に学長室までついてきてくれたのが斎藤さんだったけど、國分充がニセ学長として納まったままその地位にしがみ付いているのを見るに耐えず、名古屋大学へ移ってしまったというのは惜しまれるネ。学大の社会科は有能な人・清潔な人が他大学へ移ってしまう傾向があるように見えるけど、このままでは大学がレベル・ダウンしかねない。せめて浅野さんだけでも学大でガンバッテもらいたいものだ。

 

(語り論には「山月記」論も収録されているので、これも紹介したいけどまた余裕がなくなってしまったから機会を改めてネ。)