【読む】栗原敦『宮沢賢治探求 上・下』

 蒼丘書林から各3500円+税、を贈られた。あまり知られてないけど、栗原さんはマエタカ(前橋高校)の先輩(入れ違い)でもあり、昭和文学会の栗原・代表幹事だった時にボクが会務委員長として支えて以来、親密にお付き合いしていただいている。宮沢賢治というと、マエタカの国語教員だった斎藤孝弐先生が賢治ファンであり、飄々とした姿勢と発言で生徒の憧れの存在だった。ご多分に洩れずボクもファンの1人だったので、大仰に言えば賢治を神格化してしまう気持を刷り込まれたようで、高校から大学までずっと賢治とは距離を置いたままでいたから、当然ながら研究対象として意識したことはない。

 栗原さんは斎藤先生をどう思っていたのか知らないけど(授業を受けたことはないと言っていたかな?)、ボクにとっては栗原さんは近づきがたい賢治を本格的に研究している人なので、気安く著書を読みにくいのだネ。やまなし文学賞の存在も知らない時に栗原さんは『宮沢賢治 透明な軌道の上から』(新宿書房)で受賞していたので、だいぶ経ってから古書店でゲットしたのはイイけれど、未だにほとんど読めないままだ。しかし退職してからは買い溜めた本から少しずつ読んで行こうと思い、栗原さんの賢治論は目立つ所に置いてある。

 そんな状況だから、いきなり集大成の2巻本を贈られても面食らうばかり、目次を覗いても専門的過ぎて自分とは縁の無い著書ではないかと圧倒されるばかり。賢治の専門家にとっては実に便利な集大成なのだろうけど、ボクも含む一般の読者には詳し過ぎて近づきがたい感じがしてしまう。皆さんにもおススメするけど、本格的な研究書であることを覚悟して取り組まなければならないと覚悟すべし。

 

 細谷博さんの集大成本の時も感じたことだけど、本人にとっては何でも収録したいのだろうけれど、栗原さんの場合も上下それぞれにある「資料と研究・ところどころ」や「拾遺」の章は果たして必要なのだろうか? 栗原さんの場合は、それでも収録を断念したものもあるというのだから、次の賢治本を視野に研究を続行するという言葉はウソじゃないのだネ、スゴイ! マイッタね!