対照的な文学研究(書)  松村友視と綾目広治

ほぼ同時に優れた研究者から近著を贈られ、吾ながらとても幸せな気分だ。
松村友視近代文学の認識風景』(インスクリプト)と綾目広治『柔軟と屹立』(御茶の水書房)の2著である。
自分とほぼ同世代の研究者(それぞれ2つ・4つ年下かな?)が近年の研究成果をまとめたものだけれど、松村さんの著書というのは珍しい印象だったので「著者略歴」を見たらどうやら最初の単著のようだ。
綾目さんの方は前著『教師像ーー文学に見る』を頂戴したばかりだと思っていたら、今度のが8冊目の単著のようで凄いパワーに圧倒される思い。
「○○と○○」という表題の書名が多いのは埴谷雄高を思わせるが(「と」で並列するのは嫌いだ、と村上一郎が言っていたけどボクは拘らない)、綾目さんは埴谷ファンなのかな?
ともあれ単著の出し方に端的に現れているのは、お2人の、ひいては研究者・批評家の業績の残し方の違いである。
綾目さんは「あとがき」で述べているように、講演を元にした論文も収録されていて読みやすくてハードルが低いのが取り柄だ。
京都大学の経済学部を出た人らしく(?)、本書の副題にも「労働」が含まれているように既刊本にも「格差」や「資本主義」などというタームが目立っている。
とはいえ本書には「永瀬清子をめぐる詩想のつながり」という論が収録されているように、詩も論じてしまう守備範囲の広さには圧倒されるばかり。
要するに問題意識が幅広くて何でも自分のまな板に載せることができる稀有な人だ。
昔『解釈と鑑賞』の戦後文学シリーズ(第三の新人特集だったか?)の批評家として吉本隆明を引き受けたことがあったけど、編集担当の柘植光彦さんから服部達を引き受けた某氏が書けそうもないので困っていると相談を受けたので、急遽ボクが服部を書くから安心してもらいたいと応えた。
吉本はどうするのだ? と言われたので、心当たりがあるから大丈夫と応じてすぐに綾目さんに電話してお願いし、引き受けてもらった次第。
そんな具合で「困った時のアヤメコージ」は便利でアテにできるのだ。
日本近代文学会の理事を務めていた時も、地方の会場に困った時に理事会の席から電話して(宗像さんのケイタイだった)綾目さんに引き受けてもらい、実現したのが岡山のノートルダム清心女子大で開催された秋季大会だ(ボクは学大の推薦試験に重なって参加できなかったけど)。
会場が決まった時の、代表理事中島国彦さんのホッとした表情も覚えている。
親しい綾目さんの話題なので、話が逸れてしまったから松村さんの著書に移りたい。

松村さんのは最初の単著らしく、「あとがき」にもあるように30年間の成果を1書にまとめたものだから充実感がハンパない。
綾目さんの著書と比べるまでもなく、比重がとてつもなく大きいのだ。
3冊目の著書を出し渋っている(安吾について書き悩んでいる)ボクも、「女と著書は量より質」を大事にするタイプだけれど、松村さんの本書の比重にはかなわない。
などと比較するだけでも叱られるかもしれないけど、松村さんのは比類なく重厚で学問的な研究書だから、研究というより批評だかエッセイだか不分明なボクの書くものとは元々異質なのだと痛感させられる。
松村さんの一番得意としている鏡花(論文3本)には興味が無いので、取り付きやすそうな花袋「重右衛門の最後」から読み始めた(のが10日ほど前のこと)。
鴎外は学生時代に故・三好行雄師の授業で読まされたから親しいものの、松村さんの鴎外論は3本ともそれぞれ「認識・観念・思想」という用語が表題に含まれているので敬遠せざるをえなかった(ハルトマンとか何とかメンドクサイしツマラナソウ)。
明治文学は(特に30年代までは)ほとんど素人なので花袋から読み始めたわけだけれど、昨年の日本近代文学会の春季大会だったかで岩野泡鳴が取り上げられたのを機縁に、この時期の日本文学の「ミメーシス」(模写)の諸相には関心があったというモチーフもあったからである。
読み始めてビックリしたのはむやみに難しい議論が続くこと、先行研究として相馬庸郎『日本自然主義再考』が上げられていたので退職後の学習用として備えてあったのでちょうどイイと喜んだものの、鴎外訳のフォルケルト「審美新説」なる論が引用されるので、せっかく鴎外論を飛ばした甲斐が無いというもの。
その後も二葉亭の「小説総論」には対応できても、花袋の初期評論や小説のみならず透谷やら樗牛やらには即応できないので通読するまでタイヘンな目に遭ったものだ。
なるほどこれだけ勉強していれば、戸松泉さん等の先行研究を軽くあしらって退けて行く手付きにも説得されてしまう。
もちろん松村さんの論理を鵜呑みにしては戸松さんにも失礼なので、昔の『日本近代文学』を探し出して来て机上に置いてある(未読)。
難しい議論に首をヒネッているうちに気付いたのは、そもそもの作品の記憶がボンヤリしていることで、改めて「重右衛門の最後」を再読することにしたところ。
身の回りもゴテゴテしているけれど、論文の読みでも後手後手になっているのでなかなか先に進めない。
ともあれ重厚な研究書を読もうと思ったら第一におススメの本です。
ボクはあまり得意じゃないけど、賢治童話についての論も2本収録されてます。

(註)ハルトマンがハウプトマンになっていたので訂正しました。