【読む】細谷博の「明暗」論

 細谷さんから大部の2巻本をいただいのはいつだったか・・・。退職記念だったか・生涯をまとめる企図の出版だったかで、何でも詰め込まれてために玉石混淆の印象だったのを素直に言わせてもらったのは忘れない。その後も栗原敦さんからも似たような2巻本を贈っていただいたので、同じ印象を公言させてもらった。研究者側の都合だけで読者の気持や利益を考慮しない出版に歯止めをかけたいと思ったので、お2人の先輩の著書に敢えて苦言を呈したしだいだった。退職とか記念のためとかいう場合でもダメ出ししておけば、研究者がタレ流しのように出版しなくなると考えての上だ。

 もちろん充実して読み応えある著書ならいくらでも読みたいけれど(研究者ではないけど柄谷行人などが想起される一方で、佐藤公一のタレ流しぶりは許せない)、最初の著書はともかくも(最初からダメならそれで最後にすべきだ)その後の出版が薄い内実なのに出したがるのは読者に迷惑をかけるだけだ。概して自己閉塞しがちな研究者の著書など、今どきの読者からはスルーされるだけだという事実から目をそらせてはいけない。個人的な要望になってしまうかもしれないけれど、できるだけ読者に開かれた書き方を心がけてもらいたいものだ。

 

 さて細谷さんの『漱石最後の〈笑い〉 「明暗」の凡常』(新典社、1700円+税)だけど、細谷さんといえば「明暗」というイメージは強烈だ(ボクだけじゃないと思う)。近代文学会の運営委員を務めていた時の松山学会で、細谷さんの発表を聴いた時の衝撃が忘れられないせいかな。ある箇所から地の文をカットして会話だけを並べ、それだけでストーリーが成り立つことを見せた手際は刺激的だった。会場にいた樫原修さんに言わせれば、論としてはそこからどう展開するかだということになるけれど、アメリカ留学中でも「明暗」について考えていたという細谷さんの論だから、きっと読ませてくれるに違いない。

 個人的にも「明暗」や細谷さん一押しの「道草」(後書き)にはとりわけ強い関心があるのだけれど、現在の関心からすると拝読する余裕は無い。現在漱石と言えば何よりも服部徹也さんの『はじまりの漱石』(新曜社)を読みたい気持ながら、それでさえ途中で放置したままの状態だ。細谷さんの「明暗」論を満喫できるのは、もっと晩年になってからの楽しみだろネ。

 ともあれ年季の入った「明暗」論だから、漱石に興味のある人には安心しておススメできるヨ。