政治と芸術と言えば数回前に記したピカソの「ゲルニカ」が有名だろうけど、音楽の場合もけっこうたくさんの事例があるのだネ。古くはワーグナーが反ユダヤ主義の論文を残していて、それを念頭にナチがワーグナーをユダヤ人虐殺したことで、ユダヤ人社会ではワーグナーを受け付けないところまで行ってしまっているのは音楽のために残念きわまりない。イスラエルではいまだにワーグナーを聴くことができない状況だろうけど、だいぶ前に記したようにサイードが生前世界的指揮者バレンボイム(ユダヤ人)と協力し、パレスチナとイスラエルの青年を集めてイスラエルで演奏会を開き、(最後の?)1曲だけワーグナーを演奏したという。その際にバレンボイムは聴きたくない人は会場から出るように促してから指揮したという話が残っている。政治と音楽は別だ! というメッセージが強く伝わってくる事例だネ。
朝日新聞の12日の「多事奏論」の欄では、ここ数日のうちに複数の楽団が公演からチャイコフスキー序曲「1812年」を取り下げているとのこと。表題から分かるように、ナポレオンのセントペテルブルグ包囲からの解放を祝して作曲されたものだけど、静かで美しいメロディで始まり大砲の祝砲(太鼓で代えることが多い)で終る分かりやすい曲だ。記事を書いている吉田純子さんの言うとおり、《「ロシアが勝つ物語だから」などという表層的な理由で演奏を避けるのが当たり前になることだけは避けたいと思う。》なんだよネ。確かにロシアがキエフを包囲している状況は、セントペテルブルグがナポレオンに包囲されている状況そのままだけど、とはいえ「1812年」の演奏を避けるというのはオカシイ。むしろロシア音楽を使って、ロシアに対する抵抗の姿勢を強化すると思って聴けばプーチン批判の心情が高まるだろうにネ。
ショスタコービチの交響曲第7番は「レニングラード」の愛称を持っているけど、これもナチのレニングラード(セントペテルブルグの旧称)包囲戦で闘い続けた市民を励ますために作曲されたのは事実だ。レニングラードでは物資が不自由な中で栄養失調の楽員を集め、何とか演奏してラジオを通して市中に流したという。最終楽章の勝利の行進のテーマがしだいに高まっていく様子はラベルの「ボレロ」のパクリだけれど、政治的背景を想起しながら聴くと感動はひときわ強い。吉田記者の記事も記すとおり、
《かのショスタコービチは表向きはスターリン政権に従属しつつ、巧みかつアイロニカルに、反骨のメッセージを音型やリズムに練り込んだ。》
のだネ。交響曲第4番などでモダニズム音楽を作曲したため当局ににらまれ、急転回して第5番「革命」では社会主義リアリズムの分かりやすい音楽を作るようになった。ある音楽評論家の指摘によれば、ショスタコービチは目立つ交響曲ではスターリンにも分かる曲作りをしながらも、弦楽四重奏曲(名曲そろい!)はじめ室内楽では本音で作曲したというのは理解しやすいネ。
『ショスタコービチの証言』という本があり、在職中から時々開くもののまだ読みきっていないのでその点の事情について本人がどう言ってるのかは不明だけどネ。でもショスタコービチの曲も初演していたレニングラード・フィルの常任指揮者・ムラビンスキ―のことを、スターリニスト呼ばわりで批判していたのは笑えたネ。ほとんどのファンがお互いに認め合っているものとばかり思っていたのに、ショスタコービチのまさかのホンネ、最初読んだときはビックリしたヨ。