【読む】太宰の「惜別」は傑作か?  高橋源一郎「歩きながら、考える」(朝日新聞4月1日)

 プーチンウクライナ侵略について書かれたものはたくさんあって取り上げきれないけど、信頼すべき発言を続ける作家・高橋源一郎朝日新聞に載せた記事には太宰治の「惜別」への言及があるので保存してある。ただこの小説を「傑作」と断じているので違和感を覚えたから、ブログに紹介しようと思い名ながらも後回しにしたままになっている。今NHKスペシャル「OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル」の再放送を見ながら(沖縄民謡などが流れたら録画しながら)高橋の意見を紹介しよう。

 詳細は新聞記事を読んでもらいたいので、簡略にまとめると高橋はロシア帝国下のウクライナで自身の文化の復興に努めた作家・コチュビンスキーの原作映画(全編ウクライナ語で作られたソ連映画)と比較しながら「惜別」を論じている。「惜別」の主人公は若き日の魯迅であり、その日本留学時代を描いていて魯迅の「藤野先生」(今も高校教科書で採られている小説)も作中に引用されている。高橋によれば、

 《中国の一青年と日本の教師の強く、深い繋がりを描いた傑作である。(改行)「惜別」の舞台は日露戦争時。高揚するナショナリズムの下、同級生で中国(清)留学生の周樹人(魯迅)に対して、「革命派」「スパイ」という非難の声が上がる。そのとき、語り手は、(略)泣きながら、彼の側に立つことを宣言するのだ。(改行)中国を「敵」として憎めと告げる社会の中にいて、太宰はこの作品を書いた。》ということになる。

 当時太宰が例外的に戦争と距離をとっていたのは確かながらも、果たして「惜別」が傑作と言えるとも思えない。中国の歴史・文学や魯迅について何も知らない太宰には、当然ながら魯迅が描けていないので、語り手の同級生からの一方的な思い入れが語られているだけだ(それも説得力を欠いている)。太宰のモチーフは伝わってくるものの、作品としての達成が低すぎるというのがボクの評価だネ。高橋源一郎の気持は十分に分かるものの、作品はモチーフの素晴らしさではなく、モチーフがいかに作品として実現されているかにかかっているのだからネ。

 興味があれば、実際に「惜別」を読んで判断してもらいたいネ(新潮文庫に収録されているヨ)。

 

@ 沖縄の番組は数日前に見たものの再放送ではなかったので、沖縄民謡など全然なかったヨ。むしろAwitchはじめ沖縄の未知の新しい歌手たちの特集だったヨ、ザンネン!

 ちなみにボクの大好きな民謡は沖縄と津軽のもので、生まれた群馬の民謡は有名なやすき節とかは大嫌いだネ。