【聴く】石井先生の最終講義(3) 秋山虔先生にも評価された石井さん

 学大に赴任した後のことだけど、「大学の教員は実にイイカゲンだ、その第一はレポートや答案用紙を学生に返却しないことだ(キチンと読まずに放置してしまう)。」という声を聞いて大いにハンセイするところがあった。赴任した最初の年の卒業式の日に、レポートを採点した(感想を付した)ものをいくつかの教室を回って卒業生に返却していたところを、昭和ゼミ長だった土屋佳彦クンに見られたのを覚えている。土屋クンの表情は「大学にそんなことする先生がいるのか?!」と見えたので、我ながら誇らしかったものだ。

 もっともそんなことができたのは1年目だけで終わり、その後はフツーの大学教員のようにイイカゲンなところで自分を甘やかして済ましていたネ。それがある日、石井研究室を訪れたら石井さんが念入りに採点をしている姿に出くわしたのだ。こりゃ教員として完敗だと胸が痛んだのを忘れない。ひょっとしたらその答案用紙(?)が教員の再教育のための履修単位のための採点だったような気もするけど、それならなおさらどんなことにも手を抜かない石井さんの人並みはずれた誠実な姿勢に打たれたことになる。答案用紙やレポート用紙を返却しているかどうかはともあれ、石井さんが学生が一所懸命に書いた答案やレポートに対して真摯に対応しているのは確かであり、大学教員として例外的なのは間違いない。

 石井さんは卒業生をできる限り就職させるように尽力し続けてきたというのも、また驚きだったネ。学生を叱りつけてでも就職させるのがモットーだというのだから、卒業生に対してもイイカゲンな姿勢で向かう(モラトリアムに意義を認めてしまう)自分としては自省の契機を与えられた気持になったネ。ともあれ石井さんは《教育者》としてはハンパないレベルの人だということだ、スゴイ!

 

 《研究者》としての石井さんは今さら言うまでもないスゴイ人だけど、最終講義では本人の口からいろいろ興味深い話を聞けたのは収穫だった。最初期の論文を秋山虔先生にお送りしたら、とてもありがたいお手紙をいただいて自信になったそうだけど(初耳だった)、手紙の内容は言えないということだった(聞きたかったネ)。未知の研究者(当時の石井さんはボクと同じように定時制の教員だったか?)に対しても謙虚な姿勢で論文を評価なさる秋山先生に、改めて驚きと敬意を感じ入ったネ。もちろん秋山虔をうならせた石井正己という研究者の実力がスゴかった、ということが前提だけどネ。

 ボクの場合は未知の相手ではなく、秋山先生の学部授業のみならず院生1年生の時も近代文学専攻にもかかわらず、「紫式部日記」の授業に参加するという不届き者だったボクを喜んで迎えてくれたのを忘れない。ボクも秋山先生の言葉が身に沁みたのは、宇都宮大学の教員の頃に井伏鱒二論を書いて「山椒魚」を最晩年になって井伏が手を入れて別の作品のようにしてしまった理由をボクなりに論じたところ、たいへん気に入っていただき「他の誰の論よりも説得力を感じた」というお手紙と共に書庫にあったという井伏の貴重な単行本を送っていただいた時だネ。

 大学院修了後には毎年の年賀状に個人的な思いを付していただき嬉しく励まされたものだけど、学生に対してだけでなく研究者に対しても評価が明確で、レベルの低い学者の論文に対してはダメだしも遠慮のないものだった。言葉は違うだろうけど、「こんな人は論文など書かずに注釈していればイイのです」という恐ろしい言葉も忘れない。そんな秋山先生が未知の研究者だった石井さんをすぐに高く評価したというのも、十分にうなづけるネ。

 

@ 長く書いたのにまだ終わらないので、後でもう1回。