【読む】石井正己の超人的スゴサ  研究も教育も!  仕事に生きるか、趣味に生きるか?

 ベンゾー(石井正己)先生の最終講義に参加した人や「学芸国語国文学」の退職記念号で業績一覧を見た人はその圧倒的な量に驚いたことだろう。記念号の機関誌が異常なほど分厚くなっているのは、大井田・黒石先生の記念号でもあるという理由だけではなく、ベンゾーさんの業績が多すぎるせいなのだネ(2段組みなど前代未聞!)。イチロー語録で「〇〇とオンナは量より質」を唱えているボクとしても、時々1ページくらいの書評のコピーを送ってもらってもそれが単なる「量」に終らず、丁寧に読み込んだ上での書評なので「質」も優れたものであることを知っている。何故こんな本の書評まで書いたのか理解に苦しむものもあるので訊いたら、以下のように説明してくれた。

 《押し入れから掘り出して、今度の業績に追加しましたが、事典どころか、20代半ばから参考書や文法書に加え、週刊誌の書評などずいぶん書きました。近年はいくつか断っていますが、ほとんど何でも書く癖は、おそらく生涯ぬけないと思います。》 

 「事典どころか」と言っているのは、ボクが院生の頃に師匠(三好行雄)も編集者に名を連ねている事典の依頼でも平気で断ったことを指している。書評も誰でも書きたがる岩波書店の『文学』からの依頼でも、その本を読みたくない(評価しない)という理由ですぐに断ったことも思い出す。商業研究誌『国文学』や『解釈と鑑賞』の原稿依頼は守備範囲を広げるためにもけっこう引き受けたけど(太宰や井伏についての論も依頼がきっかけだった)、3・4回に1度は依頼を断ったと思う。だからなおさら「何でも書く」というベンゾーさんは理解の外だネ。何でも引き受けて実現してしまうのは、それだけの能力があるということでもあるから敵(かな)わないヨ。

 院生の頃のボクは定時制高校の教員でもあったのでフツーの院生のように研究時間に恵まれていたわけではなかったから、書評を含めて自分のためにならない原稿依頼は断っていたということだネ。その姿勢は宇都宮大学就職以降も続いて退職以後の現在まで継続している、趣味を含めて自分を大事にしたいからだ。研究も大事だし教育もそのつど第一にして臨んでいたけれど、そのために釣りなどの趣味をガマンすることはしなかったネ。

 

 以前にも書いたけど、教育においてもベンゾーさんは人並み外れて熱心で、大学教員にありがちな教育を無視してジコチュウに研究に打ち込むようなことはしなかったネ。教員の再教育とか称して大学で講義を受けろという余計な制度が一時期あったけど、ベンゾーさんの研究室を訪れたらその単位を出す試験(レポート)用紙を読んで採点していたのを見かけて驚いたヨ。そこまで丁寧にやるのかという思いネ、ふだんでも大学教員特有の汚点でもある《試験はやりっぱなしで答案は返却しない》というのがフツーだからね。

 最終講義で知ったのだけど、ベンゾーさんは日本各地のみならず韓国や中国へもくり返し講演に行き、都合1000回を超えているというのでビックリ仰天したヨ。広く言えば教育のためにならどこへも行くという姿勢は、まったく理解できなかったネ。ボクは宇都宮大学時代に中国へ長期(1年とか半年とか)教えに行ってきたらという勧めを断ったのを皮切りに、その後もその姿勢を崩さずに通したヨ。それでも中国には5日間の集中講義を、韓国へは1度の講演(滞在は3日ほど)には出かけたのだからそれで許してもらいたいネ。

 これも最終講義の時にベンゾーさんが洩らしたのだと思うけど、自分には趣味が無いというのは信じがたいもののホントのようだネ。講演旅行には奥様(学大の同級生)同伴で観光するようだけど、それが趣味の代わり(息抜き)になっているのかな。ボクからするとカワイソーなくらい無趣味だけど、本人がそれで充実しているようなので「人生いろいろ」と言うほかないネ。