【読む・聴く】ヒトの引き際  歌手ワルトラウト・マイヤーの至言  田原総一朗・大宅映子

 3月30日の朝日新聞(夕刊)を読んでいたらワーグナー歌手で名をはせたワルトラウト・マイヤー(メゾソプラノ)の引退記事が載っていた。現在67歳というから決して早すぎる引退ではないけど、「これからは歌手以外の人生を生きてゆく。とっても楽しみ。」と曇りのない笑顔で語ったそうで微笑ましい。世紀を代表する1人だったクリスタ・ルートビッヒも、引退に臨んで同じような発言をしていたのを思い出す。「明日からは声を気にせずに好きなことをしていられるのが嬉しい」とか語っていた。現役の頃は厳しい自己管理をして声を保持してたルートビッヒらしい言葉だネ。彼女の最終公演リサイタルの録音は評判で、CDなどで聴けるはずだ。マイヤーも先般東京で最後のリサイタルをやったとのこと。

 ルートビッヒはマーラーも歌うのでバーンスタインの指揮で「大地の歌」だったかを歌う際、バーンスタインが想定するテンポが速すぎて歌詞を正確に歌えないと抗議したら、バーンスタインが「一語一語が伝わらなくても良いから歌っているフリをしろ」とか言ったという解説も聞いた。2人の音楽家の立場の差異がよく出ている逸話だネ。

 マイヤーの歌はワーグナーの楽劇を昔ラジオで聴いたと思うけど、名前を覚えているものの具体的に役名は記憶にない。新聞によるとイゾルデやジークリンデなどを歌ったようだけどネ。ここでマイヤーを取り上げたのは歌手としてというより、人間としての素晴らしさを伝えたいからだ。引退を惜しむ声に対して以下のように応えたという。

 《オペラ歌手は注意深くあらねばなりません。私自身が、私に対する最も厳しい批評家でなければ。(略)終わるということは、始まるということ同じくらい素晴らしいことなのです。》

 短い記事なのに他にも紹介したい言葉もありながらも、上記の言は田原総一朗や大宅映子に服用させたいものだネ。先般もブログに警告したように、この2人のモーロク爺婆は引き際というものが全く分かっていないまま生き恥をさらしているからだ。もちろんこの2人の老耄ぶりだけでなく我々すべてに当てはまる至言であり、記憶しておいて「晩節を汚す」ことなく人生を終えたいものだネ。