【状況への失言・見る】「俺のケツにキスをして~」  コロナ禍の後は対人恐怖

 7日(木曜)夜のことを振り返って記すヨ。引退したジジイのことだから文化面(放送大など)による教養付けや娯楽面での息抜きでテレビのお世話になっているけど、この日は遅くなってからいろいろと見てしまう番組が多かったのでネ。

 11時20分からBS1で「ゆらぐモルドバ」という特集の再放送があって、前にも見たのだけど(ジジイの物忘れもあって)また見てしまった。ジョージアでも同じようなことが起こっているけど、ロシアによる他国の「侵略」がウクライナに始まったことではないという極端な例がモルドバで起こっているというレポートだネ。モルドバウクライナに接している細長い地域に独立を宣言させ、ロシア兵1000名を常駐させてモルドバの抗議を無視し続けているという状態だ。もちろんロシア以外にこの自称「国家」を国際的に認めている国は無いにもかかわらずだ。

 

 この番組を見ながら先般見ていた「映像の世紀 ベトナム戦争」を録画していたのだけどネ。ベトナムものでは珍しく当時国防長官だったマクナマラに焦点を当てた番組で、ハーバード大を優秀な成績で卒業して日中戦争では日本中を焼野原にしたあのB29の爆撃を発案したのがマクナマラだったとは知らなかったネ。日本家屋を焼き尽くした焼夷弾ベトナムの畑や森を焼いたナパーム弾だと知ったのも、1年くらい前のことだったナ。

 戦後のマクナマラはB29作戦が評価されてフォード社に入社したものの、市場調査に基づいた小型車製造が当たって評価され、すぐにケネディ大統領に国防長官として迎えられた。ベトナムマクナマラは市場調査並みに人(ベトナム人)の死者数を調査して(ボディカウントと言った)、アメリカ兵1人の死者に対するベトナム人の死者数を想定しつつその増大を図ったという(キルレシオと呼ぶのは初耳だった)。それでもケネディが大統領だった時はアメリカ兵の撤退を決めたものの、ケネディが暗殺された後に大統領になってしまった愚物のジョンソンが戦争継続を強いたので泥沼状態になったのは周知のとおり。

 無差別爆撃でキルシオの数値を上げようとしたものの、効果が無かったので疑問を抱いたマクナマラ国防総省員のエルズバーグ(初めての名だった)に真相を告げられて納得したにもかかわらず、メディアやジョンソンにはウソを語り続けて戦争を継続させてしまった。(ベトナム戦争におけるアメリカ兵の厭戦気分を知るにはオブライエン(村上春樹訳)「本当の戦争の話をしよう」がおススメ。)戦争を止めるべきだとは考えつつも言い出せないままでいたマクナマラに対して、ジョンソンは有名な言葉を残している(前のブログでは不正確に紹介してしまったけど、以下が正しい)。

 《私が求めるのは忠誠心だ。真昼間にショーウィンドウの中で俺のケツにキスをして、バラのような香りがしますと言える男が必要なのだ。》

 ケツにキスしつつも何とかジョンソンから逃れて国防省を辞めたものの、その後匿名で国防省の秘密資料(後に「ペンタゴン・ペーパーズ」として公刊された)が暴露されてマクナマラのウソも明るみに出ざるをえなかった。「ベトナム戦争を継続したのは70%がアメリカのメンツのためだった」という暴露が決定的だったというのは当然だ。身に危険が及ぶのを覚悟の上で暴露し、本を出したのがエルズバーグだったとは実に面白い。世にも稀な秀才が史上最低かもしれない知能のジョンソンの下でケツにキスし続けざるをえなかったというのも、よくある話ながら皮肉だネ。

 アメリカ以前にベトナムを植民地にしていたフランス軍を追い出したベトナム人民を指導したボー・グエン・ザップが、またしてもアメリカ軍をたたき出したわけだけど、戦後国交が回復したベトナムを訪れたマクナマラがグエン将軍に何故闘い続けたのかと問うたら、「私たちは何年でも闘い続けるつもりだった。自由と独立はそれほど大事なものだから。」と応えたそうだ。将来ウクライナからロシア軍を追い出した時、プーチンが同じ質問をウクライナ政権を支えた人たちにしたら、やはり「自由と独立」のためだと応えると思うヨ。

 プーチンはジョンソンほど低能ではないだろうけど、同じようにメンツにこだわるレベルの低い愚物だというのは間違いないからネ。

 

 「映像の世紀」に続けてNHKスペシャルという番組で、コロナ禍の後では若者がナマの人間と元どおりに付き合うことが難しくなったという特集をやっていた。見る予定はなかったけど、見始めたら止められなくなってしまった。信頼する精神科居医・斎藤環さんも出演していたせいもあるけど、まさかと思われる現象の現れだったけど「無理して周囲に合わせていた自分がマスクで守られていたものの、はずしたらもう無理が利かなくなっていたということ」という分析はさすがに鋭いと思ったネ。