たった今、Eテレの「おとなタイムマシン」(昔の番組の再放送)で遠藤周作「私とルオー」を途中から見ながらメールのチェックをしたり・ブログを更新しているところ。この「タイムマシン」自体先日の再放送なのだけど、その時は見なかったのだネ。遠藤周作は見るだけで胸クソが悪くなるので回避したのだけど、今はテレビが立憲民主党の代表選ばかりなので仕方なく遠藤の言うことを忌々しく聞いているヨ。
学大院修了生のエイリンはじめ遠藤に入れ込んでいる人を少なからず「指導」してきたけど、最初から遠藤周作は評価できない旨を伝えた上で「対決」してきたヨ。でもここまでハッキリ嫌悪感をもらしたことはないネ。それだけ画面上でも直接遠藤のツラを見ると不愉快さがつのるということだネ。
遠藤周作はいう人間は、中学か高校時代にテレビで見た時から大ウソつきというイメージが強固だったネ。よくある初恋の人探しという番組だったと思うけど、ゲストの遠藤が言うことが明らかにウソばかりで番組の作り手に余計な迷惑を強いていたのが、子供ながら許せなかったネ。「こいつはいったい何だ?!」という不審感が強烈に残ったまま今日にいたる次第だネ。
見事な作品を多数残した太宰治が巧妙なウソを書き続けたように、小説はしょせんウソだから遠藤の作品はウソばかりなどという無粋(ぶすい)なことを言うつもりはないけれど、文学を離れた場所でシラッとウソをつくのは見逃せないネ。そもそも多くのキリスト像を描き続けたルオーについて、遠藤周作が語ると言うこと自体が真摯なルオーを汚す印象が強いので受け入れがたい。最初の放送を見る気がしなかったのはそのせいだネ。
個別のルオー作品について遠藤が言うことは、想定通りの恣意的なことばかりで聞いていられないヨ。恣意的なのは小説も同じだけど、ボクの大好きなルオーについて身勝手すぎるもの言いをされるのは絶対に許せない!