【ゼミ部】(修正版)12月は19日(土曜) 3時からに変更

 忘年会には重ならないことがハッキリしたので、日にちが決まりました。

12月19日(土)3時~(2時から変更)

ヒッキ―研究室+オンライン

江戸川乱歩「鏡地獄」

発表者 クリマン君(立教大オーヴァー・ドクター)

 

@ テキストは以下のとおりですが、詳細は後で明示します。

 

https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57343_60022
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【読む】山田俊治『福地桜知』がスゴイ!  人並み外れた能力と意欲

 前に署名だけ紹介した本をチョッと覗いてみた。面白そうなところと思って「車善七」という新聞連載小説についての叙述(評伝だから論とは記さない)を読んだのだけど、(直前の「廻る因果」という連載についての叙述と同じく)むやみと複雑なストーリーを簡潔にまとめるものの、それでも2ページくらいの長さになってしまう。家康の命を狙いながらも失敗し、許されて家来になるのだけれど望んで非人頭となったという主筋は知っていたけれど、こんなにあれやこれやあった果ての人生だったのかと呆れるくらい。作品を読むだけでも時間がかかるだろうし、それをここまで分かりやすい簡略なあらすじにまとめる苦労はさぞやと察せられる。

 こんな調子で400ページほどの書を刊行するまでいったい何年の月日を費やしたのか、人並み外れた能力と情熱のなせるワザであることは誰も否定しえまい。惜しむらくは福地桜知自体がほとんど忘れられた存在だということ。それでもこれほど充実した評伝を書き上げたシュン爺のみなぎる熱意のお蔭で、桜知も文学史に埋もれてしまうことは無かろう。言うまでもなく、ボクにはこんなに詳細な評伝を書ける文学者は1人としていないし、シュン爺のような無私の意欲などその100分の1さえも持てない。ただただ頭が下がるだけだ。

 今年度のやまなし文学賞は決まりだネ。

【ゼミ部】(補足)ピエタ

 既に補足・訂正した記憶もあるのだけど、先日のゼミで美術作品「ピエタ」の構図をボクが勘違いしていた問題だ。このところ一段と己が記憶に確信が薄れているので、ブログに記したのか誰かへの返信メールで訂正したのかが覚束ない。両方ともたくさん書いているので、調べるのも面倒だから訂正しておくネ。

 イエスが十字架から降ろされている場面で、十字架の両側に2人のマリア(聖母とマグダラ)が配されている構図も、聖母がイエスを抱えている構図も両方「ピエタ」と呼ぶのかと思っていたら、前者は「ピエタ」とは言わずに西村クンが「降ろす場面」をフランス語に翻訳してくれたように、「キリスト降下図」と言うようだネ。

 ルーベンスが一番有名だろうけど、彼の「キリスト降下図」(とイエスを十字架にかける図もあるようだ)を見ながら死んでいくのが「フランダースの犬」というのも知られているネ。聖母が死んだイエスを抱いている構図の「ピエタ」で有名なのは、ミケランジェラの彫刻だネ。2つの美術昨品を知らない人は、検索してでも見ておいた方が無難だヨ。知らないと小木博明おぎやはぎ)みたいにバカにされるからネ。

【読む】千田洋幸さんの本(その4) 「山月記」論  浅野智彦  

 千田さんの近著を紹介していて、「山月記」論についても記すと予告しながら気付けば1ケ月、千田先生の「山月記」論を早く知りたいと期待していた学大卒の皆さんには待たせてゴメン! とは思いつつも、《一家に一冊》(殊に教員の家では)とも言うべき研究書なのだから、自分で買って読めヨと言いたいネ。事実中島敦論を書いたことのある(あるいは書いている)卒業生2人に個人的に勧めたら、1人が「とても勉強になりました。己の無知を知らされたので、まずはドゥルーズを読みたいと思います。」と言ってきたので苦笑したネ。千田さんの「山月記」論がドゥルーズの論の要約から始まっているためなのだろうけど、そんなに簡単にドゥルーズが読める能力があるなら、素晴らしい論文が書けるだろうヨ。千田さん自身もドゥルーズからの引用は程ほどにしつつ、それを分かりやすくパラフレーズしたり、註にドゥルーズの啓蒙的な解説書から引用しながら自説を理解しやすくしてくれている、そのくらいの配慮をしているほどの難物だからネ、ドゥルーズは(単行本は2段組みで4㎝の厚さだし)。

 千田さんがいつも以上に分かりやすく書こうとしているのは、先般廃刊された『現代文学史研究』(第29集)に掲載したものだからかもしれない(千田さんとは無関係の情報だけど、ボクは創価大卒の同人に以前ヒドイ目に遭わされて脱会していたので、「山月記」論は本書で初めて拝読した)。この雑誌の読者は学大と創価大の卒業生が主たるものだろうから、理解しやすく書いてくれていると感じた。それでも皆さんに伝わるように紹介するのはたくさん引用しなければならないから、自分の頭で挑戦してもらうほかないネ。

 

 ドゥルーズが「可能性」と「潜在性」とを対比させている概念を、上記の解説書が以下のように解説している。

 《可能性の論理をとると、新たなものを算出するという流れの側面が見失われしまう。(略)これに対して、力の潜在性とは、本質的に未決定なものである。(略)

 潜在的なものは、あらかじめ何であるかを描きだすことのできないもの、いいかえれば、現実化してしまえばそのあり方が変容してしまうもののことである。》

 この対概念を利用しつつ、千田さんは説く。

 《李徴にとって、虎への変身とは、未決定性と予測不可能性にみちた潜在性のちからに出会う経験であった。彼が自己の変身に理由を見つけられないのは、そこに、原因→結果という単純な因果関係を見いだすことができないからである。》

 これが千田論の核となっていると思うけど、これだけでは通じにくいだろうから、千田さんは蓼沼正美さんの「自己劇化」論の観点や「三四郎」論でも援用していた浅野智彦さんの書から、《自己はそれが物語られる限りにおいて、必ず結末逆算された(振り返った)形で選択・配列されるのであり、事実ありのままの記述ではあり得ない。》と引用したりして、理解が行き届くように配慮してくれている。

 自説を踏まえつつ、千田さんが以下のような兆発に対して、教育現場にいる(いなくてもいいのだけど)皆さんがどう対処するのか、尋ねてみたいものだ。

 《「なぜ李徴は虎に変身したのか」という旧式の問いは、「なぜ李徴は完全に虎になってしまう直前にこの自己物語を必要としたのか」という問いに置きかえられなければならないのだ。》

 《李徴の語りに虚偽や自己欺瞞を見いだす解釈、李徴に「反省的自己」の所有を求めつつその欠如を批判する読み方には、もう限界があると思う。》

 すぐには応えがたい挑発だろうから、まずは千田本を熟読してからジックリ考えてもらいたいネ。

 

@ 浅野さんの『自己への物語り的接近――家族療法から社会学へ』(勁草書房)は入手して読もうと思っているヨ。この本は以前サトマンが発表した時のレジュメにも記されていたと記憶する。学大では以前いた山田昌弘さん(現・中央大)の著名な本以外にも、野口裕二さんの『ナラティヴと共同性』(青土社)もとても面白かったナ。学大の社会科は上野和彦や藤井健志のような、学内政治に執着している愚物ばかりじゃないのだネ。 

 蓼沼正美さんの「山月記」論は未読ながら、この人は以前紹介した『超入門! 現代文学理論講座』(ちくまプリマ―新書)の著書で、この本は監修している亀井秀雄さんが文学理論を講義している体をとっていて、とても読みやすいので改めておススメ!

【近況】ビデオ機が壊れ! プリンターが壊れ?

 とうとうビデオ機が壊れてしまったヨ。使わないと故障の元だと気をつけているので、今日は5日ぶりくらいでビデオを見て(聴いて)いたのだけれど、見終ってテープを替えようと思い取り出そうとしたら引っ掛かってしまったヨ。何とか取り出して別のテープを入れようとしたら、奥まで入らなくなってしまったヨ。すぐに寿命だと思いながら、新しいビデオ機は入手できるのか心配になったネ。売っていても高価だとタイヘンだナ、とも考えつつも700本超あるテープが見ることができない・聴けないのも惜しいナ、と思ったヨ。音楽はもちろん文学・美術・演劇・歴史・地理(旅)・動物など、さまざまなものが録画してあるので、それらが見ることができない・聴けないとなると淋しい限り。

 安く手に入る売り場なり、方法はないものかナ?

 

 次いでプリンターが突然印刷できなくなって焦ったヨ、4万円以上もしたプリンターなのに。インクが切れるはずもないのだけれど(2ケ月ほど前に買い替えたばかり)、念のために追加のインクを入れようとしたけれど、何度試みたものの反応しないのだネ。壊れたとすると業者に来てもらうのか、買ったビックカメラに持って行くのか、とすごいストレス状態だった。とりあえずプリンターの指示をよく読みことにして、面倒ながらそれに従ってインストールしたらスムースに印刷できるようになって一安心! 簡略に記しているけど、その間の時間が長かったので、見る予定もなかったEテレの「浦沢直樹の漫勉」という番組をほとんど見てしまったヨ。

 西炯子という漫画家がゲストで描いている様子が映っていたけど、まるで絵が下手なボクとしてはひたすら感心するばかり。やっぱりプロというのはどの道でもスゴイね! 絵だけ気持を表現してしまうのだから、その技法に圧倒されたヨ。子供の頃から絵が上手い人には及び難い気持だったけど、それもプロになると人間ワザじゃないと感じたネ。

 ともあれ何だか分からないけど、今のままでは印刷ができなくなったから、グレードアップするようにインストールしろということだったのかな? そう受け止めているけれど。ともあれ自力で解決できて良かったヨ。危うく「木村電気」さん(木村守先生)にメールするところだったヨ。木村先生は大学の教員というプロの道以外に、PCを自分で組み立ててしまうくらいだから、何でも修理してくれるので在職中から助けてもらい続けている。PCでもプロという二刀流というのは人並み外れていてスゴイ! ボクも釣り名人という2つ目のプロを自慢したいところだけど、途方もないカネと時間がかかりそうだネ。それでもシロウト相手なら自慢できると思っていたのに、先般の釣り部では木村先生はキス名人ぶりを発揮してボク等は黙るしかなかったヨ。ボクは一生二刀流にはなれないネ。

【状況への失言】小柴昌俊さん死去  梶田隆章さんはアテにならない  村上斉と小野正嗣の共通点

 ボクが素粒子理論家について書くことなどありえない、と思うのは当然だけど別に理論を語るわけでないから安心あれ。朝日新聞の「村山斉の時空自在」という連載で、理論物理の専門である村山さんも強調していたように、小柴さんは豪快な人として印象に残っている。小柴さんは理論家というより実験の人という方が正確だろうけど、ある実験をする時にニッケルがたくさん必要になった時、小柴さんは学生に1円玉をたくさん集めさせてそれを使ったそうだ。たぶん法的には犯罪になるのだろうけど、小柴さんという人はそんなことにこだわらない、ヤッチマウのだナ。村山さんがその時の学生かどうかは知らないけど、たぶん小柴さんのカミオカンデという大きな業績の延長上でノーベル賞を獲れた梶田隆章さんは、その頃の学生に1人だったかもネ。

 しかし梶田さんは小柴さんと比べるまでもなくスケールの小さい人で、学術会議の代表であるにもかかわらず管首相と対談した時にも、せっかくのチャンスだったのに「今日は署名を渡して説明するだけに来た」とくり返すだけで、6名を認めなかった政権側の説明を求めもせずに世の期待を裏切ってしまった。小柄でやせた人の良い爺さんという印象で、全然闘う意志を示さないのでガッカリしたネ。小柴さんだったらそんな生やさしいことで済ませなかっただろう。

 ゴリラ研究者である前・学術会議代表だった山極寿一さんは、独自に政府に対する抗議文を出していたのが朝日に載っていた(読まなかったけど)。山極さんも小柴さんと同じような豪快な人だからネ。梶田さんは細かいことによく気が付くサラリーマンという感じで、不正に対して闘う姿勢がまったく見えない頼りない人。シッカリした人と代表を交代した方が世のため・人のためだネ。

 

 どうでもイイような話だけど、村上さんが以前NHKの宇宙解説の番組で、口が動くと同時に手が動き回るのが目についてイヤな印象だったネ。同じような動きをするのが、芥川賞作家で立教のフランス語教員である小野正嗣さんだネ。放送大学でしゃべると同時に手が絶えず動いているのでせわしないので、見ていて落ち着かない。身振りを伴って話すのは、欧米にでも留学した時に教えられたのかな? それにしても村上氏と比べると、小野さんの動きにはあまりイヤミを感じないのだネ、たぶん村上氏は自照性が欠落している押せ押せタイプで、小野さんはなぜか謙虚な感じの人だからだネ。それにしては手の動きが自己主張し過ぎている印象でもあるので、ジッとしていて欲しいのだけどナ。

【聴く・見る】亀山郁夫さんの「悲愴」感想  「魚が食べたい!」  ぼる塾(お笑い芸人)

 朝日新聞の今日の文化欄には《ウィーン・フィル「悲愴」の中の美》という見出しで、何と亀山郁夫さんが感想を寄せている。最近朝日には「寄稿」という記事が目立つのだけど、これも文字どおり依頼ではなく亀山さんが寄稿したものなのかな? だとすると意外に自信家で目立ちたがり屋ということになるので、イメージを裏切るよネ。指揮者がロシアのゲルギエフだから依頼されたのかな? いま気付いてみれば、記事の前に記者から亀山さんには「チャイコフスキーがなぜか好き」という書も出しているとのこと(絶対読みたくないけど)。

 いずれにしろドストエフスキーの新訳で有名になった亀山さんが、音楽の感想(とても批評にはなってないので)を書いているので驚いた。ウィーン・フィルの実演を聴いたのだそうで、全員マスク姿(さすがに管楽器は別だろう)で感銘を受けたとのこと。チャイコの「ロココの主題による変奏曲」を聴いた感想が、ソロの《チェリスト堤剛は童心に帰ったかのように、片時も集中力を切らすことなく全曲を弾き切った。》というのだから、「感想」の域を出ないのが通じるだろう。学生時代から日本最高の音楽評論家である故・吉田秀和のラジオ番組から全てと言っていいくらいを教えてもらい、吉田全集の通読を老後の楽しみにしているボクとしては、亀山さんの寄稿をとても批評などとは言えないのだナ。

 それでも2曲目のプロコフィエフのP協2番については、《アバンギャルド芸術の清華ともいうべき難曲だ》というのはその通りだし、ピアノのマツーエフが《19世紀の貴族文化が、近代的知性と反キリスト教的な野蛮な力によって切り裂かれていくさまを浮き彫りにした。》と、アバンギャルド芸術の専門家らしいことを書いている。実は亀山さんはドストではなくロシア・アバンギャルドの専門家なので、以前その画家たちが残した美術を特集した番組を録画してあるけど、ドストについても翻訳のみならず啓蒙的な解説が分かりやすくてスゴイ。でもドスト理解に関しては、我が友人のドスト専門家・望月哲男さんに一目置いているのが、以前2人の対談を読んだら伝わってきたナ。

 「悲愴」についての亀山さんの感想は気恥ずかしくて紹介できないけど、ゲルギエフチェチェン紛争がらみのテロで親族を失っていたというのは知らなかったネ。もう1つ、亀山さんがチャイコの死因をコレラだと断言しているので間違いだと気付いたものの、一時期はゲイだというのがバレて自殺したという説が支持されていたのが、今ではコレラ説の方が強くなっているようだ。検索したら「事実は闇の中」とあった。

 シューベルトボードレールと同じく梅毒だったという説は、否定されていないようだけど、だから何なンだということだよネ。

 

@ これを記しながらBS朝日の「魚が食べたい!」という番組を見ていた。魚好き・釣り好きは絶対見るべきもので、今日は3回か4回目くらいだけど、ボクは偶然初回から見ている。釣り女のアッちゃんからメールで勧められたのだけど、その前に知っていた素晴らしい番組だ。釣り部のメンバーに伝えたかどうか、・・・覚えてない。

 今は以前も紹介したEテレの「ヘウレーカ」を見ながら記している。今日は「同調圧力・空気を読む」がテーマでおススメ(再放送あり)だけど、ぼる塾(女子3人のお笑い芸人)がゲストで笑える。ぼる塾は女子芸人は長続きしないという例に洩れないと思っていたけれど、予想外にウケ続けているネ。うるさいだけのブス・フワちゃんは早く消えて欲しいのだけどネ。