【状況への失言】小山田圭吾問題  ふかわりょう  「バラいろダンディ」 竹山(vs)有吉  

 このところネットニュースの目次(?)に小山田問題が話題になっていたけど、誰だか知らないしどんな問題なのかも分からなかった。今朝のニュース番組によれば、作曲家(?)で五輪関係の音楽を担当することになっていたものの、過去の障害者イジメが明るみに出たため辞任を迫る意見がネットで沸騰したので、五輪委員会も続投を諦めたとか。今回の五輪は森喜朗女性差別公言から始まり、音楽担当者の障害者イジメにまで及んでケチの付き続きだネ。名目上の五輪大臣・丸川珠代は、小山田問題まで事あるごとに発言を控えて逃げ回るだけだとか。無知で自身で考える能力も無いのだから、意見を求められても応えられないのは分かっていたはず、質問するだけ無駄というもの。

 さて小山田問題を正面から取り上げようとしているのではなく、同じ音楽家としてふかわりょうの発言が良かったので紹介しようとしたまでの話。遅い昼食(7時過ぎ)を食べながらテレビを見ようとしたものの、適当な番組がないままチャンネル9を押してしまった。「バラいろダンディ」という番組でふかわりょうが出演していたので見ていた。ふかわは「5時に夢中」のMCぶりに感心していたものの、4月から完全に降りてしまって残念だったので9を押したのはタイミングが良かった。

 ふかわはこの問題を自分のこととして受け止め、以下のような発言をした(言葉は正確ではないけど)。

 《今まで関わってきた(笑いの)仕事は、イジメと重なる面もあったので、今後はその点を自覚しつつ仕事を選び・こなして行きたい。》

 ふかわの言うとおり、お笑いの仕事は他人をダシにしてあざ笑う傾向にあるので、イジメにも通じるのは確かだ。もちろん自虐の笑いもある一方で「他虐」の笑いもあるわけで、竹山がさらし者になって自虐で伸し上がったとすれば、有吉は他人をイジることで時代に乗ったというわけだ。有吉の番組をみれば、ほぼ全部がイジメの傾向を持っていることは誰でも解るだろう。有吉の性格(キャラ造りにしても)にピッタリだからウケるのだネ。

 ふかわは元々は自虐の芸風ながらも、笑いの本質にイジメの要素があることを自覚していたからこそ、小山田問題を契機に己の存在・仕事を省みることができたということだ。さすがにインテリ芸人だヨ(慶応卒ということとは無関係)。デビュー以来、そういう謙虚さが好きなんだけどネ。殺意を覚えたり殴りたい衝動を感じるのは、こういう謙虚さがカケラも無いヤツなんだナ。

 

 ふかわが突然個人的な自省の発言をしたので、同じレギュラーらしい遠野なぎこ(最初は鳥居みゆきかと思った)だけには通じた模様だったけど、もう1人のレギュラーらしい天然おバカの杉村太蔵は全く理解できずに黙り込み、MCの大島由香里(初めて見た)も理解できないままトンチンカンな応答をしていた。これじゃあふかわがカワイソーと思ったものの、東京MXの番組だからそんなもンだろネ。MCがゴジムの大橋さんだったら、ふかわの発言に理解ある対応をしただろうけど。

【見る】寺島実郎の番組  田中優子  安田奈津紀  深沢潮  鷺沢萌

 先週で連載が終った朝日新聞の「語る――人生の贈り物」の田中優子さんの特集を読んでいたら、「サンデーモーニング」(TBS午前9時~)への出演は法大総長としての立場から控えたとあった。以前田中さんのことを記した時に、最近出演しなくなったけどと書いた理由が判明したネ。この番組のコメンテーターは最高レベルのインテリがそろっているけど、今日は一番若い(?)安田奈津紀というフォトジャーナリストの発言が切れ味抜群だった。バッハ会長に広島訪問などへの批判が盛り上がっているけど(それ自体は嬉しいものの)、安田さんが強調したのは政権の姿勢のイイカゲンさ(気持がこもらないままJOCの言いなりなど)だったけれど、その言い方が気持良かったナ。

 この人何もの? と思って「サンデーモーニング」のコメンテーターを検索したら、高校生の頃からカンボジアに関心があって訪れたのが機縁になって、フォトジャーナリストになったという。毛沢東主義を貫いたポルポトが自国民を何百万も殺した後だったので、孤児があふれているのだ何とかしたいという思いが抑えきれなかったとのこと。この人の発言の強さの由来が解った気がしたけど、チョッと驚いたのは離婚した父が在日コリアン2世だったとか、その父や兄の死を引きずっていたというのも強さの秘密なのだろネ。もちろん悲惨な状況に耐えぬいた結果としての強さだろうけど。ともあれ彼女のサイトを一読してもらいたいネ。

 昨日(17日)の夕刊の「いま聞く」というコーナーでは、深沢潮(ふかざわうしお)という父母が在日コリアンの作家を取り上げていた。こちらは祖父の代から本人まで差別に苦悩しながら日本で生きている体験を、小説に書くことで救われたという話だった。そういえば鷺沢萌という在日コリアンの作家がいて、自殺したことも思い合わされたネ。関東大震災の時の朝鮮人虐殺から、現代のネトウヨの朝鮮(韓国)攻撃まで、知的レベルの低い日本人が絶えないのは恥ずかしいかぎり。

 

 今日は出演していなかったけど、寺島実郎さんの東京MX11時からの冠番組を見た(毎週やるわけではないらしいけど)。前半はボクの一番苦手な経済の問題の解説で、アベノミックスがいかに経済的格差を生み出し、若者たちを非正規労働に追い込んだかを丁寧に解説してくれた。この番組はSNSでたくさんの視聴者を獲得しているというのが、分かる気がしたネ。

 後半は人類の歴史がテーマで、自ら知的好奇心が強いというとおり実にたくさんの関連本を読みこなしているので驚いた。チンパンジー(正確にはボノボ)に「言葉」を教えたり、(うなり声で)会話をすることができる京都大学の松沢さんの本(知らんかった)まで紹介しながらの解説は実に興味深かったヨ。

 この番組は見逃せない!

 

@ 「英雄たちの選択」のSP番組「古代人のココロに迫る」の再放送を見ながらブログを書いた。2時間タップリ楽しんだヨ。

【見る】「映像の世紀」オリンピック(その2)  黒人差別に反対した表象台の3人(1人は白人)

 最近偶然にやり方を覚えたのだけど、自分のブログの記事を検索してみたところ、去年の6月20・21日の感想によれば「映像の世紀」第16集のオリンピック特集を放映しているのだネ。おそらく同じフィルムなのだろうけど、今回初めて見るほどの感銘を受けた場面もあったネ。それは後回しにして、去年の記事から政治とスポーツの問題に触れた箇所をコピペしてみる。

 

 それはともあれ「映像の世紀」を見る限り、オリンピックが民族(国家)対立や人種差別とは切っても切れない歴史には圧倒されてしまったネ。米ソの対立のお蔭で互いの陣営でボイコット合戦した記憶は新しいものの、若い人は知らないかもしれないから補足すれば、ソ連(現ロシア)のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ陣営がモスクワ・オリンピックをボイコットし、日本も素直にアメリカに従ったので柔道の山下も男泣きしたのだヨ。ロサンゼルスの時はソ連陣営が報復でボイコットしたのだから、お互い大人げないというか政治をスポーツに持ち込み過ぎたよネ。

 

 確かアフガニスタンソ連寄りの政権ができたので、それをタリバーンなど反政府勢力から守るためにソ連が軍事侵攻したのだった。アメリカは60年代にベトナムに強引に侵攻しておきながら、ソ連が同じようなことをしたらオリンピックにまで政治を持ち込んで参加しなかったのだった。仕返しとしてロスの時にはソ連が参加を拒否したのだから、それ自体は子供のケンカのレベルだけど政治とスポーツは完全に切り離せないのだネ。

 オリンピックという国際的な場で国内の政治の問題を提起したのだ、メキシコだったかで短距離走の黒人選手スミスとカーロスの2人がアメリカ国内の差別に抗議して、表彰式の際にアメリカの国旗を見ないようにうつむきながら黒手袋をはめた片手を高く挙げた場面は見ておくべき光景だ。今回改めて感銘を受けたのは、もう1人表象台に立った白人ノーマン(オーストラリア)も黒人2人が胸に付けていた抗議のバッジをもらって付けていたと知ったからだ。黒人2人は国際陸上連盟とかいう組織から処分され、その後は国内では競技できなくなり悲惨な人生を送ったそうだ。のみならずノイマンもオーストラリア国内で競技から疎外されたそうだけど、アボリジニ差別に反対する人からは支持されたとのこと(その点だけは良かった、白豪主義はトランプ並みのクソだからネ)。もちろんノーマンのその後は幸せな行路ではなかったけれど。

 何年も経ってからアメリカ国内に名誉を回復した2人の黒人選手の像が立てられたけど、ノーマンの像も一緒にと誘われながらも彼は断ったとのこと。その理由が素晴らしい! 自分の立つべき位置に、《差別に反対する人は、私の代わりにここに立って下さい。》と刻んだというのだから、まことに「深イイ話」じゃないか。タレントたちの「深イイ話」(見たことないけど)がこれほど感動させるものとは思えないネ。

 

@ 政治とオリンピックでは不快な逸話もあって、それもこの番組で取り上げられていた。舞台は戦前の日本で、朝鮮人差別としてみれば表象台の3人と同じようなものだネ。長くなるから改めて記すヨ。

【見る】「あてなよる」  渡部陽一は許せない!  飯塚幸三(「上級国民」!)には殺意を感じる

 以前はBSで放映していた「あてなよる」が昼間に移った(金曜午後2時過ぎ~)ことは既に情報を流したとおり。ユウ君も録画して見ているそうで、酒好きなら当然だけどゲストによるのかな。ボクはほぼ見てるけど、今日は男ゲストが渡部陽一なので我慢できずチャンネルを回したヨ。

 渡部陽一が許せないのは昔から何度も記したけど、「戦場カメラマン」を僭称(詐称)しつつわざとらしい遅いテンポでしゃべるという演出(今は沖縄に籠ったままの伸助の番組だったかな)に乗って出てきた時から、クビ根っこを締めながら殴りつけてやりたい衝動を抑えがたいままだ。戦場に散った多くのホンモノのカメラマンやジャーナリストを侮蔑しているように見えるからだ。戦場に行くこともなくワイドショー並みの番組にしか出ないのなら、一刻も早くメディアから消えてもらいたいネ。

 不愉快センバン!!!

 

 車を暴走させて母子を轢き殺した飯塚幸三の裁判結審が近づいてか、午後のニュース番組で取り上げていた。飯塚は相変わらず事故を車の責任にして無罪を主張しているそうで(トヨタが先月末に車に落ち度が無いと発表したのは異例とのこと)、画面に飯塚のツラを見るたびに殺意を感じるヨ。

 政治屋なら安倍晋三麻生太郎ペアと杉田水脈(LGBTを敵視する議員)、タレントならマツコやルー大柴(幸い最近見ないけど)には殺意を感じるけど、渡部陽一には殺意までは感じない。好きな女性のタイプにも温度差があるように、不快を感じる存在に対しても殺意や殴るだけという差異があるのは確かだネ。作家でいえば百田尚樹は明らかに殺意レベルだし、林真理子もそうかな、殴ると手が汚れそうだし。

 

(付記) 政治屋でも作家でもシンタロー(石原慎太郎)の名を上げるのを忘れていたヨ、クタバッたと思っていたらまだ生きていたのだネ。いずれにしろ殺意を感じるレベルだけど、作家としてくくると怒る(三島を評価する一方で)研究者もいるからメンドクサイよ。

【観る】山下清の貼り紙  記憶の画家は写実がダメ

 一昨日だったか、NHKBSのプレミアム・カフェ(朝と深夜の再放送)で山下清を取り上げた番組の再放送をやっていた。朝はもちろんショーヘイたちの野球が優先されるので夜の再放送を見たのだけど、想定以上に面白い番組作りであり、作品も良かったので画集が欲しくなったくらいだった。人前でウケるので調子に乗ってキンタマの毛を見せびらかしたら、捕まって精神病院に入れられたというのは悲惨な話だった。

 印象に残ったのは医者(清の弟?)の話で、清の作品が昔の場面を再現できるのは、「左脳に障害があると右脳がそれを補うので、一般人が覚えていない特別な記憶を描くことができる」という説明だった。そういえば「レインマン」とかいう映画でも、清のような(ダスティン・ホフマン演じる)男が一目見ただけの光景を覚えているので、兄がその能力を利用してギャンブルで大儲けするシーンがあったナ。人間的交流ができない悲哀感も描かれていたと記憶するけど、清の場合と同じだネ。

 清が鹿児島に行った時、清に気付いた人が世話をしながら付近の絵を何枚か描いてもらったら、実景をジッと見つめたままで声をかけても反応しないくらい集中している。その割にはできあがった水彩も油絵もあまりデキが良くない。有名になってから清の後見をしていた式場隆三郎精神科医)さんの説明によれば、「清は目の前の光景を描いても面白く描けない。あくまでも記憶を想起しながら描くと素晴らしい」とのこと。

 ナルホド納得だネ。

(式場さんて、ゴッホの書簡集の原書を小林秀雄に貸した人かな? 小林の「ゴッホの手紙」に引用されている手紙を翻訳しているのは、小林自身だけどネ。)

【読む】久しぶりの安吾  火野葦平(の自殺)

 久世光彦『女神(じょしん)』(新潮社、2003年)をずっと放置してあったのを、チョッとのぞき始めたら小林秀雄河上徹太郎大岡昇平などなどたくさんの著名文学者を遍歴したと書いてあるので、時々読み続けている(と前に記したと思う)。中也もヒロイン坂本睦子に惚れたものの、他の男のように肉体関係まで進めなかったと書いてあるのはヤッパリと笑えたネ。安吾は睦子の方から気に入られたらしいのだけど、関係は微妙だというのもヤッパリだったネ。というわけで、安吾の「二十七歳」(と「三十歳」)を久しぶりに読んだ。

 安吾が生涯懊悩させられた女性作家・矢田津世子が前景化されているので、17歳の女給として登場する坂本睦子については詳しくは分からないので残念だった。それでもヒグラシゼミで取り上げ続けている現代小説と比べると、安吾の小説は安心して読めるのが嬉しい。ホントはもっと安吾に集中して読んでいなければ約束違反なのだけどネ。  

 

 ヒグラシゼミの常連でボクと同世代のナオさんは、年齢より30年以上脳が若いようでボクの在職中から院の授業にも参加していて、退職後も大井田・疋田両先生の授業にも出させてもらうだけでなく、昭和・大正の両ゼミにも参加しているそうだ。参加といっても聴くだけでなく、ゼミ員同様の頻度で発表もしているというのだからスゴイ!

白内障の手術もしたばかりだそうだけど、今は火野葦平の「鯉」という作品の発表準備をしているというので、昔から葦平に興味を持っているので読んでみたら驚いたヨ。登場人物を作家を直結すて読むのはシロウトのやることだと言ってきたけれど、この作品には戦時中の葦平が抱き続けた罪意識が露骨に現れていたからだネ。葦平と言えば、戦時中の記録的ベストセラー小説「麦と兵隊」で知られているけれど、実は(中国で日本兵が犯した数多くの罪悪に対して)強い罪意識を保持し続けていたらしく、戦後も20年経ってから突然自殺したのだけど、それはあまり知られていないようだ。

 それにしても安吾といい葦平といい、読み慣れた昭和文学は安心していられるのがイイね。