【近況】記号論的な「和解」(志賀直哉)論の解説  高級美酒の連続で大満足!

 昨日の○○高校では、関谷一郎の「和解」(志賀直哉)論の解説を、ゼミ形式でやってきた。3時間半ほど、充実したひと時を味わうことができたのは、ひとえに5名の先生方が能力を具えていたからだネ。『シドク 漱石から太宰まで』の前書きの末尾に並べた「和解」にまつわる9項目の疑問点を、文化人類学などを使って記号論的に読み解いた論の解説をしたわけだネ。大学の学部の授業では4~5回分の内容だった。

 前回は疋田雅昭『文学理論入門』(ひつじ書房)を紹介してきたけど、今回はヒッキ―(疋田)さんがとても参考になったという橋本陽介の物語論の中で一番安価な『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ、1700円+税)を紹介しつつ、ジュネット用語を使いながら解説したヨ。

 フニャ君が録画してくれたものを、ディスクに焼いて後で送ってくれるそうだ。「和解」論を聴きたい(見たい?)人にはお貸しできそうだネ。

 帰りにはトヨピンが、ボクの大好きなデカい柚子をたくさん土産にくれたヨ。先日新しく1ケ買ったばかりなのでタイミングは悪かったけど、柚子は粉や切り刻んだもので一年中食べたいものなので、ありがたい限りだネ。

 

 終了後は直前まで楽しみにしてくれていたツクホーシのみならず、アマッチも仕事で参加できなくなったので、トオル君・フニャ君とイヤラシとの4人でイタリアンへ行った。謝金を全部使い果たすつもりだったので、ネットで調べたかぎり宇都宮では一番高そうな和食店や、その次ぎのランクの和食店でと思ったものの、全部満杯だというのでイヤラシが予約してくれたいうバリトンという店に行った。ピッツァが売りだというので、あまり食べられないので敬遠していたものの、魚介類も豊富にあって言うこと無しの料理だったヨ。ドデカい生ハムを削ってくれたり(美味とは思わなかったけどワインとのマリアージュはさいこー)、ドデカいチーズを鰹節のように削ってくれたものは見た目でも売りになってたネ。

 ボクの希望でビールではなくシャンパン(イチロー・ファミリーのソムリエであるトオル君が選んだ本物で6000円)から始まり、ブルボディの赤ワイン(8000円)の香りも味わいも以前釣り部でアマッチが呑ませてくれたジンセイ最高のワインを思い出したネ。ともあれ腹イッパイ飲み食いしたけど、謝金が余るくらいだったので、先日の定時制卒業生と呑んだ時の不足分も補えたヨ。和食が取れなくて結果オーライだったネ。イヤラシ君、お世話さま!

 トオル・フニャ両君をはじめ、○○高校の皆さんに感謝!

【近況】また○○高校へ

 明日また○○高校(フニャ君たちが勤務)へ行って、関谷一郎という人の志賀直哉「和解」論(『シドク 漱石から太宰まで』所収)をもとにゼミ形式(?)の講習をしてくるヨ。終了後に呑み部でイヤラシたちと合流するけど、明日は泊まらずに帰宅する予定。その2日後には学部生同期(正確には留年したら同期生となった仲間)の忘年会で内田樹たちと呑むので楽しみだけど、間の金曜日はまた歯医者でいたぶられるのがツライ。

【状況への失言】群馬県民はアホになったか?  日本人は劣化したのか?  維新の党(馬場伸幸代表)の右翼ぶり

11日のTBS特番(午後6時~)を見ていて唖然としたヨ。群馬県内で朝鮮人に対する「強制連行」→強制労働を反省した証として「友愛」をうたった碑を、撤去せよという運動が効果を発揮して記念碑がホントに撤去されたというのだ、呆れるばかり!!!

自民党の首相が3人も出ているというので、群馬県は保守的なイメージが強いかもしれないけれど、60年安保で岸信介強行採決した際には、反対運動で提灯行列したと聞いたこともある。まだ子供だったので聞いた話だけど、そんな県民は群馬だけだったろうと思う。ある種の軽さといえるかもしれないけど、国定忠治はじめ多くのヤクザが出ていることにも通じる気がする。

 ともあれ歴史的事実を無理やり曲げたり無かったことにしたがるとは、県民として日本人として恥ずかしいばかりだヨ! 史上最悪の首相・安倍晋三のヨイショばかりしていた山本一太がテレビに出なくなったと思っていたら、いつの間にか群馬県知事になっていたので、そのせいで「友愛」をうたった碑が撤去されたのかな? それ以上に維新の党の馬場伸幸がテレビで低能・反動ぶりをさらしていたから、維新の党がその右翼的本質を明瞭に発揮したのでその影響かな? なにせ松井一郎が党の代表だった時、大阪の警察官を沖縄の反基地闘争を弾圧させるために送ったら、警官が県民を「土人」呼ばわりして暴力を振るったというのだから、維新の党の右翼・反動ぶりは本来根強い傾向だからネ。

 考えてみれば朝鮮人を強行連行して強制労働したということは、北朝鮮が日本人(と韓国人)を《拉致》したのと同じことをやったということだ。北朝鮮の悪らつな行為を批判するなら、自国の過去の犯行を素直に認めた上でないと真の批判にはならないだろう。

 (数日前の番組を見て腹が立ったのを、思い出しながら急ぎ書いたのでもの足りない気がするけど、日が経つともっと忘れてしまうから書きとめたヨ。)

【近況】忘年会  学大近代部門の同窓会?

 昨夜は学大近代文学部門の忘年会だった。正確に言うと、マギーが内地留学で千田先生の下で研究する機会を得たので歓迎会をやる予定だったのだけど、コロナ禍のお蔭で延期したままだったもの。連合大学院(博士課程)で指導した山田先生とボクだけでなく、大井田先生とヒッキ―先生にも声をかけてくれたので、近代部門の忘年・同窓会の様相を呈したしだい。東京都の感染者がほとんど無くなってきているだけでなく、千田先生が「百干」の個室を確保してくれていたので、安心して呑みまくった。何度も行った店だけど、昨夜ほど美味かったことはないネ。やはり呑む仲間がサイコーだったからだネ。カニから始まってマグロのカブト焼きまで絶品続き! ナマコはチョッと??だったけど、シラコ煮も味わえたしネ。

 困ったのは大井田先生が調子に乗って、医者に禁じられている日本酒をたくさん呑んだこと。今ごろ入院していなければイイのだけどネ。ボクも帰宅してからも楽しさが忘れられず、独りで呑み続けてしまった。お蔭で今日は夕方近くになってやっと起き上がることができたヨ、入院せずに済んだけどネ。

【状況への失言】石原(慎太郎)一賊は笑える  石原伸晃の無能・強欲ぶり  石原良純はまだマシ

 石原伸晃が内閣の参与とかを辞任したとか、カネにセコ過ぎて自民党内からも批判された上での辞任とかで愉快でならない。衆院選でも落選しただけでも痛快だったのに(東京都民は分かってるネ)、おまけに落選見舞いのようにもらった参与という地位まで失うとは笑えてしかたない。正真正銘の無能なのに政治屋を続けられたのは、ひとえに歴史に残る右翼バカの父・慎太郎の長男だったお蔭だから、辞職を聞いて慎太郎(まだクタばってないよネ?)が落胆してると思うと喜びもひとしお!

 三男坊の良純も今日のテレビ番組で言っていたようだけど、慎太郎はゴリゴリの封建主義が好みのようで長男以外はヒト扱いしないから、慎太郎の墓には長男の伸晃しか入れないそうだ。ウソじゃないのは、慎太郎も正月などの食事では長男だけ自分と同じ特別料理を出すけど、他の兄弟には無しと証言してたのを見たことあるヨ。鴎外も最初の結婚相手の赤松登志子の家風を持ちこまれ、自分だけ毎日特別料理が付くのに弟たちはそれが無いのを哀れんで、自分の料理を弟に回してやったとか書いてたネ。

 伸晃ほどバカじゃなさそうな次男坊も東京都選出の衆議院議員だったのに、今回落とされたそうで都民の目は信頼できるネ。長男以外は自力で仕事を探せと言われたそうだけど、自分で政治屋になれたのなら伸晃ほど無能じゃなかったということだろネ。それ以上にエライのは良純だろナ、天気予報士の免許を取ったり、タレントで食って行けるようになれてるし(つかこうへいの傑作「熱海殺人事件」の主任刑事役を演じたこともある)アホっぽさが愛敬でウケてるしネ。

 とにかく伸晃の辞任はメデタイかぎり、そのまま消えて欲しいものだネ。

【状況への失言】依存症の人たちへ  リンゴ上げます

 定時制高校の卒業生でアル中になったらしい男を励ますために、その友人2人にも集まってもらって飲食(イタリアン)したという話は記したけど(○○高校の謝金の残りでは足らなかったけど)、その場は楽しかったもののその後の展開が思うようになっていない。アル中はじめ依存症の依存症の難しさだネ。以下は2度目の手紙だけど(もちろん匿名)、いろいろ手がかかってブログを更新する余裕もなくなるという次第。

 ジャミラ買い物依存症で家の中がますますゴミ屋敷になるばかりだけど、ボクの言うことにはことごとく反発して逆を行くのでボヤくしかない。毎年送ってくれるギュウ笹井のリンゴも、今年はいっさい手を付けないほどヤサグレているので(明確な理由は不明)、市内に住んでいるウンコマンに数個引き取ってもらった。在職中は研究室に持参して皆に食べてもらったものだけど、今では近場に食べてくれる人をアテにするしかない。とはいえわざわざ取りにきてもらえるのは、市内の住民に限られている。もちろん国立駅まで取りにくれもらえれば、駅で渡すことは可能。

 話を元に戻すと、アル中の卒業生への手紙も依存症の人には参考になるかもしれないので、自覚のある人は一読してちょうだい。そうでない人はスルーしておくれ。

 

 先日はお疲れさま、楽しかったネ。

 しかし約束したはずのメールが来ないので期待はずれの心境。これでは単に呑むために集まった感じでモノ足りないネ。そもそもボクが受け止めた印象では、@@が集まりたいというので一緒に飲食したはずなのだがナ。**と++との三人で@@を励ましながらアル中対策を相談する、というイメージで参加したつもりなのだヨ。心配で仕方なかったからだけど、これでは将来の安心が得られないで不安のままだネ。

 呑みながらボクが「今日は呑んでも明日はガマンしろヨ」とくり返したのを気にしながらも、@@としてはおさえが効かずに呑んでしまったのでメールができないということなのかな? そもそも「明日は呑むナ」と言ったのは、@@が重症のアル中かもしれないと考えたからだけど、++から聞いた話では実態はよく分かっていない。重度の肝硬変なのに、@@が治療を避けて病院へ行かないということだった。あるいはアル中になったという自覚も持っているようだ、という話だった。

 ① まずは重度の肝硬変なら、すぐにでも病院へ行かなくては病状がさらに悪くなって、ガンなどで耐えがたい痛みに苦しむ結果になることもありうる。何の病気でも手当が早い方が良いというのは分かっていると思う。検査を受けた数値がアブナイのなら、明日にでも病院へ行って欲しい。

 ② 病院でアル中と言われればなおさらだけど、アル中だという自覚があるならすぐにでも依存症の人々の集まりに参加しないと、ますます身体がヤバイ状態になるのは火を見るより明らかで、放っておくと耐えがたい苦しみが待っているだろう。

   ボクがテレビで見た依存症の人々の集まりでは、各自が前の一日(なり一週間なり)に呑まずに暮らせた苦労をお互いに話し合うのだそうだ。薬物の場合は特に呑まず(打たず)にはいられないので、(清水健太郎とか田代まさしのように5回以上逮捕をくり返してしまうようだけど)一日ガマンできたことを発表することが生き甲斐となって次の日もガマンできるのだそうだ。テレビに出ていた所長も自分の依存症を克服した人で、一日一日が大事なのだと言っていたヨ。

   ボクがメアドをくれと言ったのは、この方式で毎日秋元から前日の様子を(良し悪しは別にして)メールしてもらえば、@@が自分をチェックすることができると思ったからだネ。もちろん**と++に毎日メールするという手も考えられるけど、二人には定職があるからボクの方が良いだろうネ。@@が自分を改造していく気持があるなら、喜んで協力するヨ。

   いずれにしろ自分だけでは自己管理ができないだろうから、誰かに見られているという意識が大事だと思う。自分をコントロールできずに呑んでしまうというのは、昔の@@が持っていたプライドを失っているからだと思う。上忍にいた頃に、@@がバイクの騒音を避けるために学校の傍では押して歩いたことを思い出してもらったのは、本来の@@にはあったプライドを思い出して欲しかったからだ。

 

   以上記したことがボクの心配が過剰に悪く思い描いてしまったことに過ぎず、実は単にアル中に近い状態のための手の震えをおさえるための分量を呑んでいるだけだとしても、呑み過ぎは肝硬変などの重い病気になる可能性が高い。また自覚が無いままに、身体に酒が残ったまま飲酒運転で事故を起こしてしまう可能性否定できない。手の震えなど気にせずに、ボクのように「酒とオンナは一日おきに限る」を実践してはどうか。それが無理でも、呑み過ぎないように、ボクの友人のように自宅には酒(ビン)を置かずに呑みたい時はそのつど缶を2個買ってきて呑む、という方式にしたらどうだろうか?

 

   ともあれ先日の集まりの楽しさを無駄にしないためにも、そしてあの楽しさを次ぎにつなげられるように、今のままの状態は改善するように立ちあがって欲しい。

 

 

【状況への失言】太平洋戦争にまつわる新知識(2)  昭和天皇の積極的関与  マレー半島の日本軍による犯罪

 2・26事件直後から敗戦直前まで昭和天皇侍従長だった百武(ひゃくたけ)三郎の日記が最近読めるようになり、天皇裕仁が今までの資料とは異なり戦争に積極的な発言をしていたことが判明した。このことは新聞のみならずテレビでも取り上げられて、ドラマ仕立てにしたものも見たヨ。裕仁役を演じた役者が似ていなかったので、これならヘイカが演じた方がソックリでリアリティがあったのに、とザンネンだった(ヘイカは役者じゃなくて高校教員だけど)。今まで戦争には消極的だったとばかり思わせておきながら、時には興奮して闘いたがっていたとはネ。コロナ禍でご無沙汰したままだけど、今度ヘイカに会ったら首を絞めてやろうかと思ったヨ。

 冗談はともあれ、裕仁に関する新しい資料はとっても貴重だネ。

 

 今日の朝日新聞には別の意味で貴重な発言が載っていた。「オピニオン & フォーラム」の欄に高嶋伸欣さんという人(琉球大名誉教授)が、今まで知られてなかった事実を掘り起こしてくれている。実は太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まったのではなく、1時間ほど早く陸軍がマレー半島の英領コタバルに上陸したのだという。それ自体は大したことではないけれど、日本軍はその2ケ月後にシンガポール攻略を果たしている。そこでも華僑はじめ多くの住民を虐殺しているのだが、そうした事実を掘り起こすために高嶋さんは100回以上現地を訪れているという。当初は遺族や目撃者から殴られそうになったり・つるし上げにあったこともあるそうだ。

 日本軍が中国大陸を侵略して満州国をデッチ上げたのは周知ながら、日本が国際連盟を脱退する際に日本軍の行為に対して唯一「棄権」した国があり(他は全部反対)、それがタイ(当時はシャムかな)だったということはあまり知られてないかもしれない。それなのに日本軍は日タイ友好和親条約に違反し、タイのシンゴラにも上陸したのだという。そんな事実があったとは初耳だし、高嶋さんが指摘しているように敗戦間近にソ連軍が日ソ中立条約に違反し、満州へ侵攻したのと同じことを日本もやっていたのだネ。

 真珠湾ばかり前景化してしまうと、12月8日が東南アジアを侵略した起点になる日ということが薄れてしまう。アジアに強いた犠牲者の存在を強く認識するためにも、12月8日はマレー半島侵攻の日でもあることを銘記しなくてはいけないということだネ。