【状況への失言】太平洋戦争にまつわる新知識(2)  昭和天皇の積極的関与  マレー半島の日本軍による犯罪

 2・26事件直後から敗戦直前まで昭和天皇侍従長だった百武(ひゃくたけ)三郎の日記が最近読めるようになり、天皇裕仁が今までの資料とは異なり戦争に積極的な発言をしていたことが判明した。このことは新聞のみならずテレビでも取り上げられて、ドラマ仕立てにしたものも見たヨ。裕仁役を演じた役者が似ていなかったので、これならヘイカが演じた方がソックリでリアリティがあったのに、とザンネンだった(ヘイカは役者じゃなくて高校教員だけど)。今まで戦争には消極的だったとばかり思わせておきながら、時には興奮して闘いたがっていたとはネ。コロナ禍でご無沙汰したままだけど、今度ヘイカに会ったら首を絞めてやろうかと思ったヨ。

 冗談はともあれ、裕仁に関する新しい資料はとっても貴重だネ。

 

 今日の朝日新聞には別の意味で貴重な発言が載っていた。「オピニオン & フォーラム」の欄に高嶋伸欣さんという人(琉球大名誉教授)が、今まで知られてなかった事実を掘り起こしてくれている。実は太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まったのではなく、1時間ほど早く陸軍がマレー半島の英領コタバルに上陸したのだという。それ自体は大したことではないけれど、日本軍はその2ケ月後にシンガポール攻略を果たしている。そこでも華僑はじめ多くの住民を虐殺しているのだが、そうした事実を掘り起こすために高嶋さんは100回以上現地を訪れているという。当初は遺族や目撃者から殴られそうになったり・つるし上げにあったこともあるそうだ。

 日本軍が中国大陸を侵略して満州国をデッチ上げたのは周知ながら、日本が国際連盟を脱退する際に日本軍の行為に対して唯一「棄権」した国があり(他は全部反対)、それがタイ(当時はシャムかな)だったということはあまり知られてないかもしれない。それなのに日本軍は日タイ友好和親条約に違反し、タイのシンゴラにも上陸したのだという。そんな事実があったとは初耳だし、高嶋さんが指摘しているように敗戦間近にソ連軍が日ソ中立条約に違反し、満州へ侵攻したのと同じことを日本もやっていたのだネ。

 真珠湾ばかり前景化してしまうと、12月8日が東南アジアを侵略した起点になる日ということが薄れてしまう。アジアに強いた犠牲者の存在を強く認識するためにも、12月8日はマレー半島侵攻の日でもあることを銘記しなくてはいけないということだネ。