【聴く】オーケストラが帰ってきた!(1)  沼尻竜典はスゴイ!

 あまり聴くコーナーを更新できてないので・・・

 先日の朝日新聞の「楽しむ」という欄に「 around Stage 」というコーナーがあり、「帰ってきたオーケストラ」という見出しでコロナ禍から復帰した日本のオケについて吉田純子という記者が解説していて楽しかった。しかしどのオケに関しても絶賛しているのでメリハリに欠けるのは、批評家ではない記者の立ち位置の宿命かも。《この2年半を、どのオーケストラも決して無駄にはしなかった。》という結果を各オケごとに紹介しているのだけど、言葉を変えてそれぞれを褒め尽くしているのは、それだけ日本のオケや外国人も含む指揮者のレベルが元々高いということかな。

 個人的に記し止めておきたいのは、先日ブログでも紹介した番組「クラシックTV」にゲスト参加していた沼尻竜典が神奈川フィルを指揮したブラームス交響曲第1番が、《どの要所も「そうあるべし」と思わせる自然な流れを重ねながら堂々たる楼閣を築き上げる稀有な名演だった。》と評されてた点だネ。番組でもワーグナー指揮者としての実力を示した沼尻なら、ブラームスを振ってもスゴイことになるのは想定内だネ。

 ブラームス交響曲はどれも名曲ながら(ベートーベンを引きずりすぎているところは評価しにくいけど)、3番にはなかなか名演が無いところにノット指揮の東京交響楽団が取り上げられているので、聴いてみたくなったネ。

 (簡単にまとめようと思ったけど、長くなりそうだから続きはまた。)

【読む】大原祐治さんの安吾評伝(2)

 きのう紹介したけど、予想を超えて長文になってしまったので早口になり、言い残してしまった気もしているので・・・

 むかし江藤淳を読んでいたら、イギリスでは古来評伝というジャンルが重視されているものの、日本ではなかなか評伝が正当に評価されていないのは欠落であり残念だと言っていたのを覚えている。小林秀雄も同じようなことを言っていたのに影響されたのか(?)、その手の評伝をむかし100均でゲットしたのがあるはずだ(たぶんロフトの物置)。

 ともあれ前回も言ったようにこの書は評伝というジャンルで優れた結果を出したものと言えると思う。江藤淳小林秀雄論の一書もそうであろうし、古くは中村光夫の『二葉亭四迷伝』が思い浮かぶネ。江藤の書は時々牽強付会になるところが難点だけど、大原さんの書は安吾の初心者にも専門家にも面白く読めるように書かれている。それもそのはずで大原さんのこれまでの論を踏まえつつも、読みやすくまとめているからだネ。 時系列に沿って書かれているので、安吾に詳しくない人は最初から読むといいだろうし、ボクみたいに読みたい所から読んでも楽しめるネ。序章を含めて全9章がそれ自体で完結しているから、関心のあるところから読んで楽しめるネ。目次も詳しいので、作品名を探してそこを読めば大原さんの作品論も味わえるヨ。

 安吾についてはこうした本が無かったので、一家に一冊! おススメだヨ。

【状況への失言】オフシャンニコフ(元ロシア国営テレビ)  プーチンを批判する人たちを守れ!

 きのう一昨日あたりに放映されていたのを見たのだけど、あのロシア国営テレビでゲリラ的に反侵略・反戦を訴えて逮捕された女子放送局員が取材されていた。彼女が無事(?)にドイツに亡命できたそうでホッとしたものの、タイヘンな目に遭っているとのこと。個人的には息子と娘を元の夫に預けて出国せざるをえなかったのがツライというのは当然ながら、たぶん離婚の原因になったと察せられる元夫は完全にプーチンに洗脳されているので、息子も父親に隷属して母親(オフシャンニコフ)の反戦行動に対して怒り狂っているそうだ(娘は幼いので事情が理解できてないとのこと)。

 個人のレベルとしてもタイヘンなのに、彼女の行動に対してSNSなどで賛同意見以上に批判するメッセージが寄せられるとのこと。ヒドイのは殺人予告まで寄せられるというのだから呆れるばかり、モノが理解できない低能たちは怖い! プーチンの手先の仕業かもしれないけどネ。アメリカでは低能なトランプ信者たちがニセ情報に乗せられて議事堂まで乗っ取ろうとしたけど(民主主義否定)、ロシアについてはプーチンの独裁を批判して民主主義を取り戻そうとした放送局員を脅しているというのだから、心底バカは何をやらかすのか分からないから怖い!

 殺人予告までされるので、オフシャンニコフは居所を秘しながらSNSで反戦・反プーチンを訴え続けているそうだけど、彼女の無事を祈るとともに民主主義を守るために独裁者と闘う人たちを応援しなくてはネ!

【見る】「言葉にできないそんな夜」  綿谷りさ>金原ひとみ  美村里恵  小沢一敬(スピードワゴン)

 先ほどブログを記しながら見ていたのだけど、以前紹介した新番組・Eテレの「言葉にできないそんな夜」(金曜夜10時~)が一段と面白くなっている。というよりゲストがレベルアップしていて面白かった。前に紹介した時は金原ひとみ等だったけど、この金原ひとみの言葉の感覚のレベルが低すぎてツマラナイと記したのを覚えているヨ。今回は金原と同時に芥川賞を受賞した綿谷りさだったけど、この2人は言語感覚が正反対と言えるほど綿谷の方が優れているのが判る番組だ。金原が出場した回はもう放送されないだろうけど(オンデマンドとかで見ることができるのかも?)、綿谷の方は近々再放送されるだろうからおススメだネ。

 今回は綿谷の他に信頼できるシャダインや女優ながら文学好きな美村里恵(感覚はイイけど口がデカすぎ)・崎山蒼志(未知のシンガー・ソング・ライター)といった面々がそれぞれの感性を発揮して「初恋」などのテーマで競っていて面白い。MCの小沢(スピードワゴン)もレベルアップしていて、これ等のツワモノたち相手に芸人には稀な言語感覚を発揮していて笑わせる。お勧めの番組だヨ!

 

【見る】放送大学「世界文学」  韓国の現代文学

 楽天(対)巨人のナイター見ながら眠ってしまい、目覚めてあわてて放送大学に切り換えたら「世界文学」の第11回として韓国の現代文学の解説をしていた(途中からだったせいか、女性小説家の作品ばかりだった)。それがどれも実に面白いのだネ! 日本(人)から見ると韓国の歴史や政治は対立が極端に現れているので驚くけど、それが文学にも直接・間接に強く表現されているようで興味深い。すぐにでも読みたくなってしまうものの、いま抱えている世界文学(「ペスト」の再読は終ったけど、「戦争と平和」「ダナウェイ夫人」「心変わり」など)に日本文学(林芙美子浮雲」の再読は終り、「夜明け前」のナナメ読みや安吾狂人遺書」その他)を読むのにタイヘンで韓国文学どころの騒ぎではない。もちろん余裕が出てきたら、前の放送大学の世界文学の韓国篇で解説を聞いた一時代前の諸作品も読みたい気持は失われていない。

 ともあれ今回紹介された作品は、光州事件(?)やセウォル号沈没事件を背景にしながらもそれらが露骨には現れないように表現されているそうだ。解説や朗読を聴いていると実に魅力的で読みたくなるヨ。驚いたのはセウォル号事件では、遺族が抗議運動として集団でハンストしていたら、遺族の運動に反対する人たちがピザなどの食べ物を多量に運び込んで遺族の目の前で食べたそうだヨ。いかにも韓国らしいと感じたヨ、スゴイね!

 韓国でハルキが日本以上に(?)読まれているのは、そうした極端さがマイルドに秘せられているせいかと思ったネ。文体を含めて洗練された味わいが、韓国文学には欠けているのかもネ。日本でもハルキ以前の文学が引きずっていた生(き)野暮さを、対立が際立っている韓国では文学も捨てきれないのかもネ。

 ともあれ第11回の韓国文学は殊のほか面白いから、再放送を待って見るなり録画するなりするべきだネ。

【読む】大原祐治の安吾評伝  山根龍一の安吾論  浅子逸男の安吾論

 山本勇人さんの小林秀雄論の紹介は小林作品を読むこと自体からしてメンドクサイ上に、それを論じている山本さんの論文も引用されている先行論も含めて難しいので、ひたすら疲れるのだヨ。その(2)も書き始めたけど、なかなか続ける気力が湧いてこない。大原さんの安吾本をいただいたことにも触れたけど、こちらはスゴク魅力的で放っておけないので昨夜本格的に読んでしまった。

 『戯作者の命脈 坂口安吾の文学精神』(春風社、4000円+税)

 頂戴してすぐに拾い読みはしていて、昨夜も拾い読みのつもりだったものの読み始めたら止まらなかったネ。論文集ではなく評伝文学の類と言っていいだろネ、ことのほか読みやすい。そもそも大原さんの論文も読みやすい方だけどネ、いま難儀している山根龍一さんの論文はまるで数学の証明問題をチェックさせられている感じで、とても疲れる。若いから仕方ないのだろうけど、言葉の力に対する信頼が無いのだと思う。ひたすら数学の記号のように言葉を使っている印象だヨ、ボクが数理系が嫌いなせいかな? 論文末の(注)がむやみに多いのも、証明問題だと勘違いしているためだと思う。不要と思われる(注)が多すぎる感じだネ。

 

 そう思って大原さんの論文集『文学的記憶・一九四〇年前後』(翰林書房)を見たら、やっぱり(注)がたくさん付いていたヨ(笑)。不要かどうかは読み返さないと分からないけどネ。今度の本は評伝と言ってよさそうなもので、読みやすさにもつながると思えるのは、(注)がまったく無いので気持よく読める。《読み物》が書ける人なンだネ、安吾研究者でも数人しかいないだろうけど。熟練しないと《読み物》を書ける域には達しないと思うけど、安吾研究で一番熟練している浅子逸男さんも書ける人だネ。大原さんの評伝に参考になった論の書き手として浅子さんの名前も出てきたけど、それも納得だネ。

 在職中から安吾に没頭するようなことを言いふらしていたものの、実行が伴わないので原卓史さん等から叱られてばかりいるけど、昔から一点集中できないタチなのだネ。安吾に強く惹かれるのだけど、他にも興味が移るので安吾全集も安吾論の本も自家にいながら常に視野に入っているものの、この数年ずっと放置されたままの感じかな。山根さんの本を読んでいて気付かされたのだけど、安吾作品も安吾論も重要なものなのに未読のものが多いのに吾ながら呆れたネ。安吾については全くのシロウトなのに、よくも論文を発表してきたものだヨ。

 原さん等に叱られながらも、安吾をまったく忘れたわけではないのは、キチンと問題意識を抱いて安吾を読もうとする気持はあるのだネ。その1つが安吾の自伝的な作品についてで、なぜ安吾はこの手の作品を断続的に書いたのか? 自分なりに考えようとしていた矢先、大原本の目次に第5章「歴史と自伝、あるいは歴史としての自伝」とあったので読み始めたら止まらなかったというわけだ。いろんな文献が次々と引用されていて圧倒されるけど、大原さんなりの結論に全部納得というわけにもいかないネ。ともあれそこに前記の浅子さんの名前が出てきたのだネ。

 「『三十歳』における虚構について」(『叙説Ⅲ』19、2021・11)

 浅子さんが先般コピーを送ってくれたのを、気になるからずっと仕事机の傍に置いてあったのだけど、大原さんの本を読んでたらこの論が参考になったと明記されているのだヨ、良心的だネ(パクっておいてトボケているヤツも多いからネ)。ともあれこれから読むのが楽しみだヨ。山本勇人さんの小林論の感想が、また遅れそうだネ(こんな風に何でもまとまらないままに時が過ぎて行くのがジンセイなんだろネ)。

【読む】山本勇人の小林秀雄論(1)  『日本近代文学』第106集

 「読む」コーナーでボク自身が読んだ本や論文の紹介が減っている印象があると思うけど、プーチンの侵略批判を続けていた時ももちろん何も読んでないわけではなかったサ。1度チラッと記した気もするけど、実は山根龍一『架橋する言葉 坂口安吾時代精神』(翰林書房)を昨年末に贈られてからずっと手こずっているのだネ。在職中から一番興味を持ち続けている安吾を中心に論じられているのみならず、小林秀雄についてもかなりのスペースを割いているので読み続けているのだネ。しかし言及されている論文(大原祐治や松本和也等々)を読み返したり、たくさんの未読の安吾作品を読んだりとかでものすごく時間がかかっているヨ。そろそろ礼状代わりの感想をブログにまとめないと山根さんに申し訳ないと思っているところだネ。(名前が出てきた大原さんの新著もいただいたばかりだけど、少しは読んでからここに紹介する予定。)

 

 山根さんへの礼状が遅れそうな原因の1つは、珍しく小林秀雄を論じることができる若い人(たぶん)を見つけて喜んで紹介しておきたくなったからだ。テクスト論が流行ってからは小林秀雄が見向きもされない状況が続いて、小林を専門に研究する若手が現れていないからネ。そんな中で『日本近代文学』最新号を見たら珍しく小林秀雄論が載っていたので、「戦時下の」小林を論じるという副題にも誘われて読み始めたのだネ。

 山本勇人「〈沈黙〉する批評言語――戦時下の小林秀雄における歴史表象ーー」

 最初のうちはボクが未読の新資料が多い(小林研究を引退した心境だったから?)ので面食らったけど(中には『すばる』に載ったものなど立ち読みしたものもあったものの)、基本的には今さら自分の小林像は動かないと思ってしまったところがモーロクの兆候なのかな?

 ハイレベルの批評として小林論を書いている山城むつみさんが、戦争期に発売禁止になった雑誌を国会図書館などで破りきれずに雑誌に残された部分を漁っているのを以前読んだ時は、その執念に圧倒されながらもそこまでやって収穫があるのかナ? と大いに疑問だった。小林に関しては、やはり従来の小林像を転換するような新資料は出てこないと考えてしまうのだネ。でも山本さんの意欲にはこれまでも小林論には欠落していた意欲があふれていて、放っておけないのだネ。

 《本稿は、戦時下に〈歴史〉を語る中で案出された哀悼の主体の、異なる位相への変貌という観点から、小林秀雄のテクストを読み替えてゆく。》

 山本さんの意欲は空回りすることなく、新資料のみならず実に丹念に小林のテクストや先行研究を読みこんでいて驚くのだけど(逆に言うとこれまでの若手の小林論はイイカゲンなものが多かったということ)、それだけにこちらも姿勢を正して読まなければならない気持になるというもの。だからこそ「哀悼の主体」や「哀悼の主題」という言い方には違和感を抱かざるをえないのだけど、これに関しては山本さんには別稿があるとのことながら(注9の論文)、そこまで目を通す余裕がないのでスルーしたまま、論の細部に対する違和感を中心に感想を付しつつ皆さんに小林秀雄への関心を刺激したいというのがホンネだネ。

 (続きはボチボチとネ)