セロリン(高橋世織)に伝えてよ

 「心あらば伝えてよ」というフレーズがあったネ、誰の詩だか忘れたけど。(春夫だったかな?)
今そういう心境ネ、相手はセロリンなんだけどネ。
非常勤に来てもらったのはいいけれど(その際の手続きにも手を焼いたけどネ)、成績表の締め切りが1週間過ぎてしまい、こちらも呼んだ手前事務に対して立場が無いわけネ。
どなたか彼に連絡の付くヒトがいたら、至急その旨伝えて下さい、お願いネ。

 昔の文学部(の一部)のユル〜イ感じを味わってもらおうと、(いつもは若い人達の履歴作りのために非常勤を頼むところを)セロリンという優秀なパフォーマー(教育者というより)に頼んだわけネ。
おかげで教育学部ではあり得ないユル〜イ授業を楽しんでもらえたようなのは学生のためにも良かったけど、(授業中に「単位はあげる」と公言して安心させきったのはマイナスが大きいけど)成績表が昔の文学部風に遅れているので困っているわけネ。
 とは言うものの、他人事(ひとごと)ではなくボクもかつて(「かって」ではない)は成績表の未提出者の常連でユビサックさん(山田)と肩を並べていたわけネ。ボクが委員長になる前の教務委員会は、未提出者の名前一覧を教授会で発表していたのネ。全てがコンピューター化されている今では考えられない時代の話だけど、教授会でボクが「こんなエゲツナイやり方は止めろ」とか言って「エゲツナイ」という表現とともに認められたわけネ。ボクにも言い分があってのことで(他の「遅れビト」は知らず)、今でもそうだけどレポートをギリギリまで待っているわけネ。論文を書くという大事な教育の機会だから。一所懸命(「一生」ではない)書いても遅れたなら、ボクの責任で成績表提出を遅らせたわけネ。コンピューター化されてしまい、そうした教育における「余裕」が無くなってしまったわけネ、残念なことだけど。全てが万事で、「時はカネなり」の効率第一のセチガライ世の中(大学という世界も)になっちまって情けないネ、ニンゲンの尊厳よりも機械の効率第一だもんネ。
 『朝日新聞』夕刊(7月27日)の「毒に愛嬌あり」というシリーズで、添田唖蝉坊(あぜんぼう)の流れを意識している中川敬(たかし)という歌手の<「おれもなれる」みたいなホリエモン的成り上がり思想が蔓延しちゃって。「いつかあちら側に」みたいな幻想があるね。勝てばいい、みたいな。そういうのも、遠因にあるよね>と
いう言葉が紹介されていたけど、的のド真ん中を射てるネ。ホリエモンを評価する頭の進んだヒトもいるようだけど、「成り上がり」の代表の田中角栄を思い出させてボクは大嫌いだネ。「カネ(効率)、カネ、カネ・・・」という感じで反吐が出るネ。
 話が大きくなりすぎた感じだけど、事務的な効率が優先されて肝心な教育が疎かになるのは本末転倒だけど、セロリンの場合は「単位をやる」と言ったのは全員Aを付けるつもりだろうから(学生はそう受け取っている)成績つけるのに手間はかからないはず。大至急出してもらいたいのネ。誰か「心あらば伝えてよ」!